愛を仮説する、その1~リミッターを外す

大マジメにぶっ飛びつつ、愛を考察します。

愛は人類永遠のテーマ...いえ。そのような言はリミッターにすぎません。リミッターを外すつもりで、行ってみます。

・愛を観察する

愛とは、どのようなカタチをしているか?
愛には形はない。そう、「愛には形がない」のが愛のカタチです。

愛の特徴1
「愛には形がない」のが愛のカタチ

愛の法則1は、次のように言い換えることができます。

愛の特徴2
愛は言い表すことができない

形がないなら、言い表せないのは当然です。


言い表せないものを、どう言い表せばいいのか?

これはジレンマです。
愛が人類永遠のテーマであると考えられる所以は愛の言及不能性にある。つまり愛とは「語り得ぬもの」

語りえぬものについては、沈黙しなければならない。

と言ったのはかのヴィトゲンシュタインですが、ところがどっこい、人間は愛を語らずにはいられません。事実、さまざまな表現手段によって愛は語らえてきました。

今現在(2021/5/17)、好評を博しているのは

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あたりでしょうか? すごく楽しめるとは聞き及んでいますが...。

愛には「楽しむもの」という一面もあります。

愛の特徴3
愛は楽しむことができる

愛は「これだ!」と言い表せないがゆえに、無限に表現のバリエーションを楽しむことができるという特性があります。言い換えれば、無限に消費の対象であるわけです。愛にまつわる想像力(imagination)は無限です。

愛の特徴3.1
愛は無限に消費の対象となりえる

愛の特徴3.2
愛にまつわる想像力は無限である

さて、ここで実に奇妙な特徴が出てまいりました。無限です。ロマンチックに「愛は無限」だなどと語られますが、リアリスティックに眺めてみても愛には無限という特性がある。過去に制作されてきた愛にまつわる表現の数、これから制作されるであろう表現の数。これはもう無限としかいいようがありません。

愛は無限という性質を持つ。無限であるから無限に消費の対象になるわけです。ここで愛の性質1を思い返しましょう。「愛には形がない」です。

愛そのものには形はない。しかし、消費の対象となる愛には形があります。表現、作品という形です。となると「愛は無限に形を生み出す」と言うことができます。

これはもはや愛の外形的な特徴ではありません。愛というものが内蔵している性質です。

愛の性質1
愛は無限に形を生み出す

愛の形は想像力(imagination)となって具現化します。つまり、芸術作品などを生み出す源泉(のひとつ)が愛だと言える。そう言えるならば、

愛の性質2
愛は創造力(creativity)である

ということができます。

さらにここから愛の特徴2を思い返しましょう。愛は言い表すことができない、です。

実は、この特徴2が愛についてのリミッターになっています。

愛は創造力です。愛は表現を創造します。私たちの常識(リミッター)は、言葉を表現のカテゴリーから無意識のうちに除外していること。言葉は表現の手段だとは考えられているが、表現そのものとは認識されていないのです。

でも、果たしてそうでしょうか?

ご存じ『新世紀エヴァンゲリオン』のなかの、これまた有名な惣流アスカ・ラングレーの「あんたバカァ~」です。

ストーリーの中に幾度もでてくる「あんたバカァ~」は、文字にしてしまうとすべて同じですが、話し言葉で表現される「あんたバカァ~」には多彩な表情があることを確認することができます。

そう、「あんたバカァ~」はすでにして表現であり作品です。だからこうしてオバムニスが登場する。

愛について考察することは、哲学だと言えるでしょう。では、私たちは哲学を何から学ぶのか? 本からです。つまり文字を経由して哲学をする。大学当たりで講師から哲学を学ぶにしても、テキストを読むことから始めるのがほとんどでしょう。

この学びの形式が愛にリミッターになってしまっている。すなわち文字が愛のリミッター、これは私の仮説です。なので、リミッターを外すには、愛を話し言葉で語ればよい、ということになります。

ということで、次回、言葉というものがいかにして創造されるのかを見ながら、愛について仮説して見たいと思います。





ちなみに、最終目標は宇宙文明。マナと愛とを接続することです。


感じるままに。