まだ「愚」が足りないらしい
ここ半年ほど取り組んできた「生き方」に、ひとつの結果がでました。
弊社で起業をしていただくことが井ノ上様の実現したい社会づくりに向けて最善であるかという観点で慎重に検討させていただいた結果、誠に勝手ながら今回はご期待に添いかねる結論に至りました。
選考会で発表いただいた社会問題は、弊社としても今の社会にとって必ず解決を目指す必要があると共感いたしました。今後は、いい社会を実現する仲間として、採用担当一同心より応援しております。
改めまして、この度は数ある選択肢の中から弊社で起業を考え、選考会にご参加いただき誠にありがとうございました。
ご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。
という本に出会って、この本の導きに従って挑戦をしてきた結果。
「いい社会を実現する仲間として、心より応援しております」
言葉というものは、つくづくすごいと思う。
「オマエは仲間にしないよ」というメッセージを「応援しています」という文言に乗っけて送ることができてしまう。
そういえば、私の今まで人生の中で、このようなメッセージを受け取ったのは初めての経験。今までは人がしない、(時給が低かったりして)やりたがらないことをしてきたので、こういった文言に接する機会に恵まれませんでした。
ということは、私は高校と大学の受験以来の競争をしたということ。改めて気がついて、ちょっと驚いているというか、呆れているというか。笑
で、私がどういったことを起業プランとして提案したかというと、
あらゆる「学び」は本来、ギフトから始まる
「学び」を本来のカタチへと戻すソーシャルモデル
「学び」を志すあらゆる者に「学び」の機会を与えるマッチング・システム
こういうのって、発想さえ改めれば、今あるICT技術ですぐに実現します。ただ、なかなかビジネスモデルにはならないけど。
詳しい内容は、また機会を改めて書きましょう。
「愚」とは何か?
それは素直であるということ。
言葉を素直に用いるということ。
言葉は感覚です。
素直ではない言葉は人間の感覚、ひいては心を歪めます。
私が今回受け取ったメッセージ。私の人生の中では初めての体験でしたが、就活やらなにやらで、このようなメッセージを数多く浴びている方々がおられることでしょう。
そりゃ、心は折れますって。
心を折るような言葉が当たり前に用いられて、そのことを当たり前に受け止めて、そして心が折れてしまうような言語システム。
なぜそのような言語システムができあがるのか。
「学び」が本来あるべきカタチから歪められているから。
なので、「学び」を本来あるべきカタチへと戻したい。
この歪んだカタチは、人類が文字というものを生みだしてから徐々に蓄積されてきた歴史的な歪みです。それが加速をしたのは、機械時計が中世中期にヨーロッパに登場してからのこと。
機械時計の普及がもたらした時間を「等分する」感覚が生みだした「正確な」記述体系。
(上の画像は、ベルギー・アントワープの聖母大聖堂の時計。あの『フランダースの犬』の最後の場面の舞台です)
要するに、文字が生まれてから5000年、加速しはじめてから1000年の歴史の積み重ねをひっくり返そうという試みです。
マジです。
もう、それはできるんです。できるだけの準備を人類はすでに整えています。なのに踏み出さないのは、歴史の呪縛に心が囚われているから。その呪縛に気がつかないから。気がつきたくないから。心が折れそうになっていてもなお、気がつこうとしないから。
そんな大それた試みを始めるのには、まだ「愚」が足りなかったらしいというのが、今回の学び。まだまだ「愚」を唱え足りないらしい。笑
愚慫と名乗る一個人としてはすでに始めていますが
システムとして社会に実装して行くには、まだまだ足りないものがある。愚唱と名乗る人間にとっては、まだ気が熟していないということ。「愚」への学びが足りていないということ。そのように受け止めます。
「人事を尽くして天命を待つ」のも、なかなか大変です。
まあ、とりあえずの問題は、どうやって糊口を凌ぐかなんですが...泣
感じるままに。