死にたいという事は生きたいという事。 だから生きる為なら死んでもいいし、 死ぬ為には精一杯に生きなければならない。
極右が極左を育て、 極左が極右を育てる。
「来る者は拒まず」も愛であるならば、 「去る者は追わず」も愛であるだろう。
人類は改善という過程と共に生きるべき。 解決という結果は人類を滅亡へと導く。
議論とは結論を求める事じゃない。 過程を理解する機会だと思う。
優劣を比較すると自らの首を絞め、 差異を比較すると自らの視野を拡げる。
自分は決して神などではない。 しかし神とは自分である事に他ならない。
生きる事とは無駄な事。 無駄だからこそ、 この世界の素晴らしさであるとか、 この世界の温もりであるとか、 また、逆にこの世界の醜さであるとか、 色々なものを詰め込む事が出来る。 何を詰め込むかは自分次第だ。
世の中は「善意」だけでは片付けられない。 しかし、それでも人の「善意」を信じたい。
疑問が物事を発展させる。 疑問が人を成長させる。 疑問が問題を改善させる。 疑問が世界を豊かに彩る。
無限大の刹那の中で、 あらゆる存在は許容される。
正しい事の全てが正しいわけではなく、 間違っている事の全てが間違っているわけでもない。
宇宙は常に一つであり、全てである。
差別を否定する事で、 差別を助長していたりもする。
宗教とは本来、人の数だけあるべきものだ。 そして僕には僕の宗教がある。 だから他の宗教に興味はない。 僕の宗教を他人に押し付けたりもしない。 ただそれだけの事。
死は結果にしか過ぎない。 だから善も悪もない。 なのに人は死を悪にしたがる。 それが人なのだろうか。