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「まんなか」探しの旅に出る

はじめまして。

楽器職人の妻であり、2児の母。社会福祉士の資格で相談支援のお仕事をしながら、ヨガインストラクターとしての活動も可能な範囲でやっているのが、いまの私。


これまでSNS(おもにInstagram)で、写真に一言添える形で投稿をしてきましたが、もう少し自分の気持ちや考えをまとめて綴ってみようかと。

そう思い至ったわけです。

ここに書くことは私のひとり言であり、いつか何かの役に立てばいいというくらいの備忘録であり、必要としてくれるなら誰かのもとに届くメッセージにもなるのかもしれない。

いまはただ、私のアウトプット(表現)の方法のひとつとして捉えています。

なぜこれをするのか、理由はいくつかあります。


○シンプルな言葉を紡ぎたい。けど、ごちゃごちゃで、モヤモヤするような整理しきれない言葉も残しておきたい

○話すのが苦手だから。でも言語化はしておきたい

○誰にも遠慮せずに、自分に正直な気持ちを綴りたい

○でも、ある程度は「つたわる」言葉を意識しておきたい


もっとあるかもしれないけれど、ひとまずこのくらいでしょうか。


つまり、私は話し下手で、うまく相手に伝えられないために自分の気持ちを見て見ぬフリするのが普通になって、やりたくないことにノーとも言えず、そのくせ周りの人からの期待や要求に応えたい生来の生真面目さが輪を掛けて、「他者の自分に対する期待・イメージ=自分が目指すべき姿」なんていう思い込みの檻に自分から縛られて抜け出せなくて、悩み悩んでおんなじところをグルグル回っているような、そんな人間なんです。

そこで、この記事のタイトル。

「まんなか」探しの旅に出る---。


「まんなか」は、ど真ん中(中心)じゃなくていい。自分が心地よさを感じられる、野球でいうところのストライクゾーンのような。

私は三十路を過ぎてすでにいい歳した大人と言われる部類ですが、元運動部で鍛えられた根性がなぜか深く根付いてしまっていて、「まんなか」から大きく外れた球も食らいついてフルスイング……みたいなことを続けてました。

そして、自分の「まんなか」が何なのか見失っていたようです。

気付いたのはここ数年のこと。きっかけはヨガ。自分がありのままでいる心地よさを知りました。

それからは相変わらず右往左往しながらも、「まんなか」らへんに自分の軸が集まってきているのを感じられるようになってきました。選球眼が少しずつ養われてきたのかもしれません。

それでもまだ、旅に出たばかり、旅の途上です。

いま、世界は新型コロナウイルスの影響で外出すら自由にできない状況。物理的には無理でも、精神的な旅をすることは可能でしょう?


私の旅の始まりと時を同じくして、このように物質的な人と物の移動ができなくなったことは、偶然なのかな。でも、すべてのタイミングが合わさったように感じます。


思い込みかもしれないけど、いいんです。

私はそう感じている、それがすべて。

さあ、これでまた一歩踏み出すことができそうです。もし読んでくれた人がいるなら、ありがとうございます。


プロローグ?終わります。


今後は子どもたちとの日々の暮らし、家づくり、ヨガ、読んだ本のことなんかも書けたらいいなと思っています(^^)

それではまた。


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