いつかちゃんのこと

ずっと目に入っていたのに、自分には手が届かないと思い込んで無視してしまっているものがいくつかある。

ミュージカルをやるとか、院進学とか、転職とか、そういうの。

そんな中の一つにスーパードルフィーもあった。

初めてそいつらの写真を見たのは中学生のときで、mixi(歳がわかる!!)のサークルを経巡っていた地方在住14歳はきれいなお人形の写真のあつまるサークルに目を奪われた。

ひときわ目を引いたのはある男子ドールを女装させた子で、メイクも衣装も自分で作ったということで、工作大好きだったので憧れも一入だった。MSDヒューイ、後から知ったことで考えれば多分セカンドモデル。当時今よりずいぶん安かったとはいえ、中学生に手が出せる値段じゃなかった。それに田舎だから天使のすみかなんてどこにもなかったし。

いや、本当は、お年玉貯金を全額積めば買えたのです。機会は本当に少ないとはいえ、東京に出ることもあったのだし。何度も見てた中野すみかのブログ、ね。行っちゃえば良かった。でもさぁ、日和った。完全にビビってた。あと、中学生が分不相応なものを…って誰にも言われてないのに自粛しとった。なぜなのか。

大学生になった。もちろんのこと上京した。田中角栄以来上京ばかりしているのだ我が県民は。

大学と劇場(高校時代はすっかり演劇少女だった)以外で一番最初に行ったのは中野ブロードウェイだった。メイドバーのバイトを受けに行った。まぁ落ちた。ノーメイクでよく行ったもんだ、精一杯可愛いTシャツ着てさ。馬鹿である。

ふとあのお人形たちのことを思い出した。見に行った。正直このときはまんだらけだったか、まだ中野すみかがあったか定かではない。

ただ、初めての一人暮らしの、その家賃より高かった。

スーパードルフィーやべぇ。

そっと心の奥に仕舞い込んだ。仕舞い込んだまま、演劇部(激烈体育会系)でしごかれたり、劇団旗揚げしたり、先輩の劇団にやっぱりしごかれたり、後輩しごいたり、しごいた自分にショックを受けてちょっとやる気なくなったり、気づけば留年していて就活を迫られたりしているうちに社会人になっていた。

社会人、これはもう本当に疲れますね。みんな会社勤めマジでえらいと思う。最初についた上司がパリピだったのも良くなかった。それまで興味のなかったメイクだの服装だの髪色だのに気をつけろと言われ、実際気をつけた。ガチマジで営業成績がちょっと上がったし、おっさんが少し優しくなった。やべぇヤツ(夜の池袋西口にいるようなやつというよりかは、本当に脳みその作りからやばそうな方々)から声をかけられなくなった末、そこそこ綺麗なお兄ちゃんにナンパまでされた。見た目でそんなに人の対応が変わることについていけなかった。私は演劇を諦めたゴミで、仕事も全く出来るようにならないゴミなのは変わらないのに。それまで個性個性と追い求めてきて、それを捨てた瞬間世界はそんなに優しいのか。量産品に化けて可愛がられるくらいならゴミの方がまだ個性がある、でもその個性ってそれ自体が腐った汁みたいなもんなんじゃないの。

社内にもオタクがいて息ができることに気づくまで一年半くらいかかった。諸オタクの皆様、ずっとそこにいたのに。そのころ諸オタクの一人(※かわいい)に連れて行ってもらったのが秋葉原のドールポイントだった。割と近いところに住んでたんやな。

そこにいたのは、圧倒的にかわいい量産品だった。人間が秒で殺されるかわいさ。…エロい。(理解を超えた素晴らしいものを性的魅力に収斂させようとする愚か者の仕草)かわいくあるように生まれているのだから、かわいい。どんな腐った汁をなすりつけられてもかわいい。だってかわいいために生まれてるから。

ただ、大人のお人形(ごめんその時のわたしにはSDの頭身すら大人に見えた)は信じられなかったので、そしてどーーーーしても初期子のおフェイスが可愛かったので、数ヶ月待って天使の窓フェアでDSD列に並びました。マジはじめて就職して良かったと思った。定額貯金万歳、ボーナス全部プールしておく習慣万歳。

そういうわけでハロウィンの頃、やってきましたわたしのお人形。あまりにもあどけない幼女。


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ダークファンタジーとかスチパンとか大好きでそんな感じの子に改造しようと思っていたんですが、あまりにもようじょなのでかわいそうになり、アイとウィッグだけ替えて(ごめん、デフォルトのは全部売り払った)我が家でのびやかな居候幼児をしてくれています。

これが

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こうなって

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こうなって

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こうなって

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こうですわ。

徐々に身につく芋っぽさ、嫌いじゃない。

そんなこんなであと少しでハーフバースデーですね、いつかちゃん。

そばにいるからね。飽きなかったら、まだそばにいてね。



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