1本のスダジイの木と〈上弦の月の日に〉
このあいだの新月の日から、1本のスダジイの木と一緒に過ごす時間を持つ、というのを朝いちばんの日課にしていて、昨日上弦の月を迎えました。(これを書いた当時)。
この試みを始めた1日目は、全身にエネルギーが通るような、じーん、とした感覚がきて、昔、1本のスダジイの木と知り合いになってよく会いに行っていた頃もこの身体感覚を覚えたなあ、と、その頃の思い出がよみがえってきました。
その翌日からは、ぽかーんとただ一緒に居られるだけの日もあれば、静かな気持ちでやわらかく相手の木に気を向ける、というプラクティスをしようとしているのにもかかわらず、いろんな雑念にものすごい勢いで足元をすくわれ続ける日もあったり、毎日違うことが起きています。
昨日は、いつもより強い風に吹かれて揺れる葉っぱと、強風に微動だにしない幹を眺めていたら、ものすごい敏感さと、揺るぎなさが、1本の木に同居している、というのが来て。そして風って情報だ、というのが来て。
自分は情報が多いとすぐ翻弄されてヘベレケになるけれど、自分の中に幹のようなクオリティを育めるものなんだろか、育めたらいいのにな、と、深いのぞみのようなものが上がってきたのでした。
そんなインスピレーションをもらったりした翌日の今朝は、おはようのあいさつをするようなつもりでこのスダジイの木と一緒にいたら、「ホーホケキョ」と声がして。あ、ウグイスもおはようのあいさつの時間かーと思っていたら、そのうちにそのウグイスがスダジイの木にやってきました。私のそばの、下の方の枝に来て、葉っぱのなかをくぐってちょこんちょこんと枝から枝に飛び移り、少し高いほうの枝に飛び移り、そこで「ホーホケキョ」とまたひとつ立派に鳴いて、それから飛び去っていきました。
このスダジイの木はお隣の敷地に生えています。お隣さんちのお庭とのあいだに塀がないので、私の部屋からもよく見えるのです。そしてウグイスは、毎年春になるとお隣のお庭で「ホーホケキョ」と鳴き始めます。お隣さんいわく、毎年、代々、ウグイスがここのお庭を拠点にしているらしい。
お隣さんちのお庭のウグイスは、代々、朝「ホーホケキョ」となんどか鳴いてから、どこかへ出かけて行きます。そして夕方になると帰ってくるみたい。日中は歌声は聞かれなくなり、夕方になるとまた歌声が響き渡ります。
ウグイスは秋ごろには、庭のツヅジの木の茂みの中で「薮鳴き」という鳴き方もします。ホーホケキョとは違う鳴き方。
春の「ホーホケキョ」も、秋の薮鳴きのときも、たいてい姿は見せてくれないのがウグイスさんのデフォルトです。どこで鳴いているのかよくわからない。
だけど、今朝はわたしの目の前でスダジイの枝にとまって、朗朗と鳴いてみせてくれたので、贈り物をもらった気持になりました。
私の尊敬する異種間コミュニケーター、アンナ・ブレイテンバッハさんは、他の生き物がこちらのことなどまるで気にせず、普段通りのふるまいをみせているとき、その「我関せず」感こそが贈り物だ、とよく言います。
それは、こちらの存在が脅威になっていない証拠、こちらの存在がエネルギー場を乱していないしるしだからです。
好奇心をもってわざわざこちらに近づいてくる野生動物もいますが、そうでなくさりげなくただ同じ場にいて、普段通りのふるまいを続けてくれる野生動物もいます。
今朝の「スダジイの木と一緒にいる時間」では、自分が比較的静かになれていたのかもしれないな、と思いました。
静かに他の生き物と一緒にいるというプラクティスは、これからも毎日続けていくつもりです。自分が静かになることが、異種間コミュニケーションのはじめの一歩なので、いまいちど、基本に立ち返る、初心にかえる、という試みです。
異種間コミュニケーションについては、こちらで、これまでの実践や練習をまとめています。