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野の生き物に触れられた日のこと

自粛生活でおうちにこもる日々が続いているなか、先日、急に思い立って本当に久方ぶりに野山歩きをしたときのこと。低い山々が連なっているところを縦走したのですが、最初の頂上で家から持ってきたお弁当を食べたのです。

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△ライ麦パンのたまごサンドとみかんのお弁当。

海を見下ろせる気持ちのいい場所で、そよ風に吹かれて、お日さまを浴びて、小鳥の歌をきいて。空高くにトンビも舞っていたけれど、われわれのお弁当には目もくれずだったので、ここらへんのトンビはヒトのお弁当とかには興味がなさそうだなと思って、ゆっくり食べました。

そしてあまりに気持ちがよかったので、食後、少しそこに座って書きものをしていました。

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しばらく書いてたら、とつぜん、バンッと、背後からトンビがわたしの左指先を叩いて前方へ飛び去っていきました。

以前浜でサンドイッチを食べていたとき、同じように背後から飛んできたトンビにサンドイッチをさらわれたことがあって、そのときも、大きな翼がわたしの頬をかすめることもなく、トンビの指先がわたしの指に触れることもなく、きれいに一瞬のうちにサンドイッチだけ持ち去っていた、あの技量に感嘆したものでしたが。

今回は、わたしの左手は何も持っていなかったので(右手には万年筆を持ってた)、指を叩くだけになったみたいでした。でも指先はまったく無傷。そして翼もやはりどこにも触れなかった。ほんの一瞬のできごと。さすがです。

びっくりはしたのだけど、不思議と怖くはなかった。怖いよりも、おかげさまで我に返った感じがしました。なんの努力もなくただ今ここにいることを、なぜか思い出せた。

怖くないばかりか、トンビが触れていった指先のあとあじが嬉しいくらいでした。触れてもらった、ということが。

この日はじつは、カービングナイフと削りかけのスプーンも持参してたので、食後に少し削ろうかなとも思ってたのですが、ナイフを手にしていなくてよかった、と思いました。トンビのほうがケガをしたかもしれないから。。

(今後お外で木削りするときは、トンビによく注意してあげないといけないと悟りました。今回、お弁当を食べてた時は膝の上に何も広げてなかったけど、書き物をしてた時はノートを広げていたので、それがお弁当を広げているように上空からは見えたのかもしれなかった。膝の上にエプロンとか布を広げて木削りをしていたら、やっぱり、お弁当を食べていると勘違いされるかもしれません。木工用刃物は鋭利なので、ほんとうに気をつけたいところです。)

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トンビの一件のあと、立ち上がってまた縦走路を歩き出したのですが、そのとき、二足歩行をしている自分に気づいて「なんて不自然な、妙な歩き方をしている生きものだろう。。」と思いました。そんなことをリアルに感じたのは、初めてだったかもしれない。

そういえば、トンビが触れていったあと、ただそこにいる自分を見つけたとき、「これでようやくほかの生き物たちの感じていることが自分の中まで届く」と感じたのでした。頭のなかのもやもやから脱出できていて。お腹でゆったり息をしていた。

頭の中のいろんな思念に浸かっているのが当たり前になっている自分を自覚したような感じでした。

現実はちゃんと目の前にあって、どこか健やかだった。たまたまあの日のお昼どきの、あの場の現実がそうだった、というだけかもしれないけれど。

生きものの世界には、過去から来る恐怖や未来への不安がひしめいているというふうではなくて、どちらかというと、信頼とバランスのなかでそれぞれがゆったり息をしているような気がしたのでした。

そのあと、一山越えて、ふた山めの頂上について、ひだまりに寝転んだらそのまま熟睡してしまい。。どのくらい寝ていたかわからないですが、だいぶ長く寝たような気がしつつ目覚めました。

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起きて、その先の峠へ向かう道の途中で、海を見下ろす斜面でひと休みしたときには、岩に腰掛けようとしたら足元からきれいなペールグリーンのヘビがするりと去っていきました。驚かせてごめん、と思いました。。

山には大木もたくさん、実生からの若木もたくさん生えていました。歴史の長さもさまざまなそれぞれの木々。

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この日は、山々のふところに少しのあいだ入れてもらってやさしくしてもらったような日でした。ありがとうのきもち。

こういう現実世界がちゃんとあることに、ほっとします。








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