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支えがあると、安心が生まれて、力が出せる

「ぐり と グリーンウッドワーク」の屋号で、木を削る愉しみを分かち合う活動を行っています。事情あって伐られた木や枝を、乾燥前のみずみずしい状態のまま、主に斧とナイフで削って暮らしの雑貨をつくる、という体験の場をつくっています。

グリーンウッドワークの手法で、剪定枝から削ったカトラリたち
左は白梅の剪定枝、右は銀杏の剪定枝から
まず斧で枝を割る
斧での成形
ナイフでの削り

斧やナイフは、なんというか、誰もが手に取って直感的に使い始められる”原始的”な手道具。でも世の中の「道具」と呼ばれるものすべてと同じで、「使いよう」によって、機能性や安全性、作業時の身体の負担が変わります。

「使いよう」の部分について、木削りセッションでお伝えしていくなかで、やっぱり一番大事なのはこれだなと常々思うのが、「支え」です。

削る材への支え。刃先への支え。

この両方の「支え」がどのくらいしっかりしているかによって、切削面の美しさ(サンドペーパー不要のつやぴかさ)も、身の安全性も、作業の労力も、変わってきます。

支えがしっかりしていると、不安定さが減り、刃先から材へスムーズに力が伝わります。不安定さが少ないと、安心して力を込めることができるし、コントロールもしやすくなります。

では、どんな支えがしっかりした支えなのか。たとえば、

  • 材を持つ手を、膝に乗せる

  • 手に持っている材の先端を、体のどこかに付ける

  • ナイフを持つ手を、膝に乗せる

  • 手に持っている材の一部を、はつり台に乗せる

これだけのことで、ぐんと支えが増します。不安定さが減るうえ、空中で手で持っているだけのときと比べて、安定させるための労力も減ります。

膝やはつり台で手を支えにせずに空中で手を使うなら、この両手につながっている左右の「ひじ」を膝の上に乗せるか、胴体の側面に当てるかすると、安定が増します。

両ひじを膝の上に乗せる場合も、胴体の側面に当てる場合も、のめりこませるようぐいっとする必要はなくて、軽やかに触れているだけで十分支えになります。身体はとても賢いので、わずかに触れているだけでも、それを参照地点として活用し、安心と安定を得てくれます。

コントロールが効く安定した状況下では、すんなりと力を込めることができます。すなわち、スムーズに力を出せるわけです。

そんなわけで、木削りをするとき、木削りについて人にお伝えするときには、いつも、この支え=サポートに想いを馳せています。

木削り以外も

この現象は木削りだけのことでなくて、人生も同じだな、とも思います。人が持っている力を無理なくスムーズに発揮できるのは、そこに安心がある状況。安心とは、支えの有無と直結していると実感します。

ひとりでがんばっていなくてもいいとき、サポートがそこにあるとき、安心しますね。仲間がそこにいてくれる、という安心とか。。

安心は心理面だけの話でなく、身体の面にも如実に現れます。急斜面を降りるとき、下から差し伸べてもらった手をとれば、体のこわばりはだいぶん解けて、より臨機応援に動ける状態のまま降りることができますね。

この地上に生きて息をしていることそのものが、大変に感じるとき、自分は地面の上にのっけてもらってここにいて、息とはそもそも、自分が生まれ出たときに大気圏の中にあった空気を受け取って、それをまた大気圏に還したのが始まりだった、それをずっと繰り返してきたんだったっけ、と気づくと、ひとりで生きているわけでなく、大きなこの地球と大気圏に支えられてここにいるという安心感が来ます。

ここにいる、というのは、地面やまわりの空気、その空気に酸素を供給してくれている植物たちからのサポートがあってこそ。

生きるために必要な食べ物も、太陽の光を物質に変換してくれて食物になってくれている植物がおおもとにありますし……。

自分の存在自体が、自分をとりまく環境とのコラボだったんだ、そもそも「ひとり」だったことはなかったんだ、と実感できると、何かが変わる感じがします。

大きなサポートの中にいさせてもらっている安心感とともに、ゆったり息をして、残念なことがあったとしても、それとともに歩んでいくことを、このところ練習しています。

よかったら、みなさまもお試しを。。







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