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「世界からTwitterが消えた」無職日記8


僕の世界からTwitterが消えた。

消えてから1週間くらいは名残惜しさのようなものがあった。

仕事の情報公開用のアカウントは生きている。

そのアカウントを覗くというのが1週間は続いた。

そして、それから覗く回数は減って

意識もしなくなってもう2週間は経つ

意識から消えた

僕の意識からTwitterが消えた

いらないものだったのか

それはもう分からない

きっと、今の時代、僕のような仕事をしていたなら

あった、方が、良かった

あの世界があったおかげだということも、ある

メリットがあるから使うのか

始めた時はそうだったのだろう

だけど、いつからか、Twitterという世界のメリットに飲み込まれて

世界の一部になっていて

孤独すらも覚えたもんだ

こわい

インターネットの世界に、もう一つ、自分という存在があって

そこでそいつが孤独になれば

現実世界での僕もあたかも孤独になったかのような錯覚すら与えてしまう

メリットよりもデメリットの方に天秤が振れた時、目が覚めたように僕は

この世界は「いらない」と思った

Twitterが消えたんじゃない

Twitterという世界から僕が消えたのだ

そしてその世界は今日も回っている

笑ったり、泣いたり、喜んだり、嬉しがったり、エロかったりしている

僕の知らないところで、色んな感情が生まれて消えている

それを知らないっていうのもいいものだ

今日も誰かが誰かを評価している

誰かが誰かに得点をつけている

さようなら

別にそうすることが良いよ、とか、そうしないような方が良いよ

とも言わない

自分がいる世界は自分が選んでそこにいる

そうだと思うから

僕は今、あの世界に距離を置いて

現実の世界に目を向ける時間が増えた、っていうのはほんとう

他にもSNSはある

その世界に僕がいる

違和感に振れたら、捨てる

ただ、その世界にいる間は死守する

自分の存在を確認できる世界なのだから

「死守せよ、ただ軽やかに手放せ」

ある演出家の言葉です

いつだってそうしてたい

今日も読んでくれてありがとうございます


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