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ババ抜きについて考察 なぜ大人がやってもつまらないのか

トランプゲームの『ババ抜き』について

《ゲームのルール》
配られた手札から数字が同じ2枚のカード(以降ペア)を捨て札に置いていき、先に手札をなくした人が「あがり」となる。ただしJOKERを捨て札に置くことはできない。

《ゲームの進行》
①JOKER1枚を含む1組のデックから人数分に分けて配ったカードを手札にしてゲーム開始。
②手札のペアを全て捨て札に置く。
③手番に右隣の人からカードを1枚引き、ペアが揃えば捨て札に置く。
④JOKER以外のカードが全て捨て札に置かれるまで③を時計回りに繰り返す。

 『ババ抜き』は『ポーカー』や『麻雀』の仲間で、手札で役を作る系統のゲームです。これらは共通して「待ち」と「逃がし」の要素を含みますが、ババ抜きは「逃がし」を自分でコントロールできないので、ニュアンス的には「逃し」が近いです。“相手にカードを奪われる”という被アクションは本来であればストレスの要因になりますが、ババ抜きでそのような負の感情を抱くことはあまりありません。理由はルール上「逃し」が発生するよりも早いタイミングで、作った役を捨てることができ、「逃す」対象が必然的に非役のカードになるからです。ゲーム中に「自分があがるために手札に温存したいカード」が見えにくいので、何を奪われたとしても心情的にマイナスになるどころか「手札が減った」という事象にむしろプラスな思考が働きます。始めに『ババ抜きは「待ち」「逃がし(逃し)」の2つの要素を含む』と言いましたが、実際は「逃がし(逃し)」がもたらすゲーム性・体験は弱く、「待ち」の要素が殆どを占めているということが分かります。そのためババ抜きは“簡単”で“緊張感がなく”、“大人がやってもつまらない”という評価を下されるのです。

 「逃がし(逃し)」の要素が弱いために“大人がやってもつまらない”ならば、その要素を強くすれば大人も楽しめるようになると考えられます。それを裏付ける証拠として、冒頭で例に挙げたババ抜きに近い要素を含みつつも大人が楽しめるゲームである『ポーカー』『麻雀』において、「逃がし」に該当する「フォールドするかどうか」「どの牌を切るか」は“リスク”や“デメリット”といった“緊張感”のあるワードを連想させます。
 もしババ抜きでこれを再現しようとするのであれば、“カードを奪われる”ことにリスクとデメリットを付け加える必要があるでしょう。手札にペアを残したままゲームが進行していくようなルールであればそれが可能です。
①②の行動でしかペアを捨て札に置けない。
②手番にペア1組だけを捨て札に置ける。
③ペアを捨て札に置く/置かないを選択した後に右隣の人からカードを1枚引く。
 例えばゲームの進行をこのようにすれば、カードを引いてから捨て札に置くまでの間に、それを奪われる可能性が生じるので、それが「逃がし(逃し)」による“緊張感”になります。ちなみにこれの副産物として「捨て札に置くペアの優先順位」で若干の戦略性が生まれたり、1ゲームのボリュームが大きくなることが期待できます。

 纏めると『ババ抜き』は手札で役を作る系統のゲームで、「待ち」「逃がし(逃し)」の2つの要素を持つが、そのうちの「待ち」に比重が傾いていることによって“簡単”で“緊張感”がなく“大人がやってもつまらない”という評価を下されている。ルールやゲームの進行を変えて「逃がし(逃し)」の要素が強くなるように調整すれば、違った楽しみ方をすることができる。ということが分かりました。

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