被害者叩きをしてもいいオレ基準

被害者叩きは見ていてつらい。

究極的には、落ち度がない被害者なんていない。なので、被害者叩きはいつでも起こりうる。

「被害者が前もって自殺しておけば、こんな事件には遭わなかったのに」。こんなばかげた主張も、いちおう「論理的」ではある。確かに、この世からいなくなっていれば、事件には遭わないだろう。

この例は極端すぎる。

でも、論理的ではあるけれど、過剰に辛辣で、お役立ち度がほとんどない、上記のような意見見かけますよね、つらぽよ〜

被害者叩きの裏には「公正世界仮説」が控えている、というツイートがある。

公正世界仮説とは、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、という考え方である。そういう仮説を信じていれば、「罰せられたのであれば、罪を犯したのであろう」という発想になるというわけ。

Wikipediaの公正世界仮説の記事にも、犠牲者非難へのリンクがある。

世の中、そうそう公正世界ではない。正義は報われず、罪は罰されない。むしろ不公正世界ともいいたくもなる。

だけど、公正世界仮説を信じていない人が多い世の中も、それはそれでイヤだ。そう信じられるからこそ、個々の事例としては「正義は報われず、罪は罰されない」ことがあっても、社会全体としては「正義は報われ、罪は罰される」ようになる。

そのような観点から考えると、被害者側にある落ち度をきちんと指摘することも、社会全体の利益になるのかもしれない。

では、どんな場合に被害者の落ち度を指摘する、被害者叩きをすればいいのだろうか。

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中年ITエンジニアであるグニャラくんが、零細株式会社の運営や、普段考えていること、インターネット生放送で出た話などの日々の様子を書いていま…

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