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Archipelago ~群島語~

企画: 01. コンセプト企画

おなじひとつのコンセプトをもとに活動していても、そのコンセプトの理解は人によって異なる。それはともすればコンセプト共有の失敗として受け取られるが、むしろ、そのコンセプト理解のズレすらも顕在化させてみると、コンセプトを元に活動する人たちの「あいだ」が浮き彫りになるのではないか。時にはズレ、時には重なる、その「あいだ」を想像してみてください。





ことばの群れ、人の群れ、島の群れ たまり なおこ

人は群れをなして生きている。
朝、起きたらベッドの上にいる。シーツに体が触れている。
このシーツはどこかの誰かが作ってくれたものだ。シーツ屋さん。あるいは寝具店。
ああ、群れている…。

ひとりひとりが孤立して生きているように見えて、実は、そうではない。
私はひとりで立ち上がって、ひとりでごはんを食べて、ひとりで寝ている。誰とも話さないし、誰にも関心がない。
一見、ひとりで生きているようだけど、実は、そうではない。

ことばの群れ、人の群れ、島の群れ。
群れていることの実感を、この展示=Archipelago で、感じてほしい。
ふだんは忘れている、むせかえるような私たちの宿命を。


 秋山拓

 海に浮かぶ島々が流れの運ぶ事物で緩やかに繋がるように、満ちた水で隠された下では地続きであるように、違う時間を生きてきて今この時が持つ人生の中での意味も違う私たちは「ことば」によってこの場所に共にあります。

 離れた島々の異なる生態系の中でなぜか同じ種が見つかるように、私たちの交感が互いの中で新しい「ことば」を生んだように、この展示を通じ見た人の中にも流れ着いたものが芽吹くことを望み私たちの「ことば」を集めました。


きわに臨んで 近藤真理子

 自分が住んでいるところが海に閉じ込められた島であるということと、自分が住んでいるところは涯(はて)などない、どこまでもずっと続いている広いひと続きの陸地であるということの、二つの体感のどちらもが自分のなかにある。

 BBC のラジオを聞いていたとき、その日は日本のことがニュースになっており、北海道の説明が流れた。その中でキャスターは「Hokkaido Island」という言い方をしていて、わたしは心底おどろいた。北海道はひとつの都道府県としては最大で、その広大さゆえに、どうやら自分はあそこを島というより一つの大陸のように考えていたらしい。そしてここ本州のことも、どこまでも続く陸地だと体感している。だが、水によって大陸から切り離されている以上、北海道も本州も、国内を長距離移動するたびに得る体感を超えて、どうしようもなく島であるらしいのだ。
 島だといっても、島であるなりに実に様々なものがあり、人がいる。わたしは多様さの片鱗に出会うほど、あらゆるものが特別で替えがきかないことを思い出す。そして同様に自分も特別であるということにも思い至るのだが、この自分の“個”性には畏れすらあり、恐ろしい。
 しかもこの特別さは、同時にとてもありふれている。わたしだけが特別なのではなく、あらゆるものが至って当然に特別なのだ。替えがきかないのだといちいち思っていられないほどに、そして実際に蔑ろにされることがあるほどに。

 この二つは、両立するのだろうか。一つひとつのものが掛けがえのないことと、その掛けがえのなさがありふれているということは。
 でも、現に両立している。海で囲われ、ほかから格別された島であることと、はてしなく多様なひと続きの陸地であることが。

 「群島」とは、ここに展示される文章群のことを指しているし、同時に書き手たちが集まっていることも喩えている。各々がその特別さを侵略しえないほど別個でありながら、同様に別個な他者であふれた、たじろくほど肥沃な世界の一部である。表現するということは、この“個”性を軽視せず、世界の豊沃さに打ちひしがれないことだと思う。そして、書き手やここにある作品だけでなく、来場者一人ひとりも群島の一つであることを感じてもらえたらと願っている。


風の止まないことばの群島を目指して 小瀧忍

 ことばのことをことばで考えていると、やがて夜が訪れた。そこは暗く、静かで、風も凪いでいる。本当にことばのことを考えていたいとき、僕はそこに身を置き、やがて朝になるまでじっくりと考え続けるのだろう。
 一方で自然のことも考えていたい。言葉を使って言葉のことを考えているこの僕自身が自然そのものなのだから、息をしていても、鼓動が止まり土に分解されても、僕が自然であることは変わりない。
 だから、僕はその夜を抜け出してみる。朝日を浴びながら小さな小舟を漕ぎ出す。凪いでいた風が少しずつ潮の薫りを含み、僕の鼓動も波とともに大きく震えだす。

 やがて辿り着いた島で僕はまた言葉のことを、言葉を使って考えはじめる。しかしここはいつも風が吹いていて、遠く水平線の向こうには似たような島が連なり、その風に運ばれて、甘い香りや、どこかで聞いた覚えのある音楽が聞こえてくる。
 この群島でさえも、どこかの国境に収まり、誰かが統治しているのかもしれない。しかし、そんなことに憂いている暇はない。朝になれば小舟を漕ぎ出し、隣の島へ行ってみよう。そこでことばのことを考えている人がいたなら、話してみてもいいし、手を振ってみるだけでもいい。潮位が上がり、風向きが変わる。自然そのものである僕は、生きたいと感じる。

 今日ここに辿り着いたあなたも、一人の人間が考えて紡ぎ出したことばを読んで、眺めて、話し、手を振って過ごしたのなら、ここが都会にぽっかり現れたことばの群島であると感じていただけるのではないだろうか。
 ことばと向き合う時、人は孤独になる。暗い夜の部屋で一人考えることも大切だが、それでも耳を澄まし、風を感じることが出来たなら、いつでもこの群島に辿り着けるだろう。


「日常」と「非日常」のあいだに 樋口貴太

「島」というのは不思議な言葉です。「島」と聞いて、皆さんはどんなものを思い浮かべますか。「南の島」、「島国」、「無人島」。「小島」に該当するものはいっぱいありますが、「大島」になると急に固有名詞になりますね。新潟生まれの私としては最初に思い浮かべるのは「佐渡ヶ島」なんですが、やはり皆さん、「島」と聞くと最初に思い浮かべるのは、大洋の上に浮かぶ、比較的小さな陸地ではないでしょうか。東京だと伊豆七島などが当てはまりますね。このような島は、その島に実際住んでいる人は別にして比較的我々の日常からは隔たっていますから、我々はそこに「非日常」を見出す傾向があると言えます。「南の島」や「無人島」などという言葉がまさにそれで、我々はそこにバカンスや、あるいはロビンソン・クルーソーのような冒険譚を夢想します。
しかしよく考えてみれば、「島」とはそんなに我々の日常から遠く隔たったものではありません。日本は島国と呼ばれるんですから、今我々がこうして立っている三鷹の土地だって厳密には島の土地です。それどころか、海に囲まれた土地のことを「島」と言うのなら地球上あまねく土地が「島」に該当するのであり、そう考えれば「島」とはまさに我々が日常をその上で送る場所に他なりません。このように、「島」とは我々に「非日常」を夢想させつつ、実は我々の日常に深く根差す、そんな存在なのです。
Archipelago、多島海の名を冠した今回の展示には、まさにそのような「島」の性質、日常に深く根差した非日常が溢れています。考えてみれば、あまねく文芸とは日常から取材したテーマから非日常を描出するものであって、その点では「島」と性質を同じくするものだと言えるかもしれません。群島の中へ旅に出、そこにて非日常に出会いつつ、しかしそれは皆さんから遠く隔たったものではないということ、そんな感慨をぜひ体験していただければと思います。


 磦田空

鳥が飛び立つ音で振り返る。影が吸い込まれていくのを見送る。彼らはどこまで行くのだろうか。
ここのことを知ろうとした。地形をたしかめた、風の吹き込むところ、空の広いところ、枝葉の豊かな樹を探した。歩き回るうちに手足は疲弊し、生い茂る草木のにおいたつ緑に皮膚は変色していく。ゆっくりと変化し続けているらしいここにとって大事なのはきっと天気や星の回りの方だ、足跡はほんの薄い道筋を残すばかりで、それでも歩くことに意味があると信じてみることにしている。
やがて辿り着く、彩度の低い海がゆっくりと揺れているほうへ歩みをすすめる。柔らかい砂に足が沈んで、打ち寄せる波に体ごとつれていかれそうになってバランスを崩す。飛沫を浴びた顔をあげると、海の上に陸地が見える。風が吹いてきて、この島の地形がまたほんの少し変わる。
ふと思い立ち、わたしは向こう側に手を振る。おーいと呼んでみる。指先から飛び散った水飛沫が細かい波紋になって、波に同化して旅立っていく。もう一度おーいと呼んでみる。向こう側に手を振る。


想像上の言語、群島語 今津祥

群島とは? 群島とは、「群れる島」と書く。複数の島が群れている。しかし、海を隔てているのだから、それぞれの島は、それぞれの風土を持ち、文化を持ち、歴史を持っているにちがいない。
それぞれ隔たって、群れる島。しかしその隔たりの領域には、海があり、海底があり、気候がある。それら、隔たりながらも共有する何かが、島々をかろうじてつなぎとめる。
もしも、その隔たりがなかったとしたら?
島と島は、互いが互いを模倣しあい、それぞれの固有の島性を、失ってしまうかもしれない。固有の島性、それを孤独と言ってみたくなる。孤独をなくしてしまったら、島と島は互いに類似していくでしょう。しかし、孤独なだけではない、海や海底や気候がある。だから、島は、他島を想像することができるし、交通することができる。そうして、孤独な島と島とでゆるやかに連帯していく、群島。

わたしたちにとって、海や気候や海底とは、言葉だ。そして、島を構成するものもまた、言葉だ。島はそれぞれ固有の言葉を持っている。だから、群島とは多言語空間だ。海や海底や気候の言葉とは、だから翻訳言語といえるだろう。
でもそれぞれの言葉を完全に理解できているわけではない。そこには解釈が含まれる、それが翻訳だ。翻訳によってかろうじて理解が生まれるのであれば、それを、異なった言語=島同士で新たな言葉が生まれた、と言ってみたくなる。
新たな言葉、想像上の言語、それが群島語だ。


島を巡るいくつかの断章 小島和明

 例えば、島尾敏雄の奄美での体験を想起する。彼は海軍の特攻隊長として、国家の厳令を受け、命を賭して任務を完遂すべく加計呂麻島へ赴く。そこで島の女性、妻ミホと出会う。死を約束された彼にとって、そしてその離別を宿命づけられた彼女にとって、月明かり(月さえ視えぬ夜は、星々と、匍匐する身体を切り裂く珊瑚の痛々しい感触)を頼りに交わされる浦々での2 人の逢瀬には、存在の消滅を予見する未来の時間を、共に生きている束の間の現在の、いまここ、その場所へと、深く投錨し、魂を互いへと刻み込もうとする衝迫的な律動があっただろう。死の棘。

芸術的衝動

あるいは、ポール・ゴーギャンが証券仲買人としての地位を捨て、画家として生きる志を立て、パリでの裕福で優雅な生活も、妻子との日々の幸福も投げ打ち、やがてマルティニーク島や、後に伝説となる作品を作り出す舞台となるタヒチ、あるいは芸術家終焉の地となるマルキーズ諸島のヒヴォオワ島へ、インスピレーションとミューズを求めて、駆り立てられていくその時、彼を突き動かす生命の鳴動は、自らの始原、野生的自然へと還ろうとする強烈な力によって支配されていたのだろう。プルードンから天才と称された、激情の社会主義者を祖母に持つ彼。楽園への道、バルガス・リョサ。

孤独

そして、ゴーギャンも訪れた西インド諸島仏領マルティニークに生まれ、第三共和政のフランス植民地政府による仏語教育、ナチス占領下ヴィシー政権執政時に初期高等教育を同島で受けた黒人文学者のエデュアール・グリッサン。群島的思考と呼ばれる彼のポリフォニックで多元的なヴィジョンは、地理的・人種的周縁に生まれ落ちた彼の孤独を身に帯びているとも言える。フランス本土の中央集権的な文化ヘゲモニーからは、彼の作品や思想は、存命中、マイナー文学として完全な評価を受けるに至らず、仏国内の大学教育機関での正式なポストを、ついぞ得ることが出来なかった。辿り着いたユネスコでの雑誌編集長職、アメリカでの大学教授職も、ポストコロニアル/カルチュラルスタディーズ、フレンチセオリーにおける本命の地位を射止めるものでは無かった。“島”の持つ“大陸”に対する周縁性と、そこに絶えず覆い被さる不遇と孤独の影。ラマンタンの入江。

航跡

 これらは、どれも本来的に、言葉には掬い上げることのできない、どこか仄暗い根源的な存在のリズムのようなものだ。“ことば”によって世界が名指され、その“言葉”が世界を固定化してしまう時、私たちは強い閉塞感を覚える。固定化された“言葉”の大陸から離れて、その切れ端、“言葉”に成り切れなかった“ことば”の断片を、ひとつひとつ拾い上げていくとき、わたしたちはそうして、“ことばの島々”を周遊しているのかもしれない。(ドゥルーズならそれを「無人島」という比喩で表現するだろう。)難破者がその周遊から、新たな海流の航路を、突如として、ふと見出すとき、未知の場所への朧気な道筋が拓かれる。それがわたしをどこへ押し流していくのかは、誰にも分からない。
誰にも分からぬ、その潮目に、いまはそっと、身を任せていたい。

補遺

―神慮の働きによって、出会いが訪れる。― フィリップ・ソレルス『本当の小説』

メモ

レ島 ソレルス フランソワ・ミッテラン 今福龍太 柳田国男 女たち男たち 星と神話の航海術








修了展示 『Archipelago ~群島語~』 について

佐々木敦が主任講師を務める、ことばと出会い直すための講座:言語表現コース「ことばの学校」の第二期の修了展が開催された。展示されるものは、ことば。第二期修了生の有志が主催し、講座内で執筆された修了作品だけでなく、「Archipelago ~群島語~」というコンセプトで三種類の企画をもうけ、本展のための新作も展示された。2023 年8 月10 日と11 日に東京都三鷹のSCOOL で開催。

『Archipelago ~群島語~』展示作品はこちらからご覧ください。



「群島語」について

言葉の共同性をテーマとし、言語表現の新しい在り方を試みる文芸誌『群島語』
2023年11月に創刊号を発表。

今後の発売に関しては、X(Twitter)Instagram で更新していくので、よければ是非フォローお願いいたします!

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