見出し画像

桃食まぬ子ら (近藤真理子)

桃太郎

 このあいだは、あのなんというか、大変な無礼をいたしまして、その……どう言えばよいか……。謝られたって、腹に据えかねると思います。あれから、なぜこんなことになってしまったのか、どこで間違えてしまったのか考えていたのですが、分からないんです。いえ、どこでだって正せたはずなのに、できなかったんです。わたしは、自分をまさに鬼だと思いました。これからどうすればいいのかまったく分からなくて、ここでぼんやりしていたんですが、あなたにしてみればこんな所でわたしに会うなんて、肝を冷やしているかもしれないですね。
 この島は、良い香りがしますね。どこへ行っても、桃の香りがただよってくる。わたしをここへ連れてきたのは、犬なんです。わたしと一緒にきた、あの犬です。ここでは、こうして隣にいてもあなたは気が付いていないかもしれないけれど、わたしは体から桃のにおいがするそうなのです。あの犬とは、ここに来る少し前に会ったのですが、わたしのにおいで、前に来たことのあるこの島のことを思い出して、それで来てみることにしたんです。桃がこんな香りだと、ここに来て初めて知りました。
 わたしの家は、あっちのほうの山のふもとにあります。あちらでは桃といえばもっと実が小さくて固くて、こんな香りはしません。だから、家の近くの村へ行くと、村の人たちからよく不思議そうに見られていました。特に小さかった頃は、村の子たちと遊びたくても、へんなにおいがすると言って仲間に入れてもらえませんでした。だから、ほかの子たちが遊んでいるのを少し離れて見ていることがほとんどだったんですが、時々遊びに入れてもらえることがあって、でも花のついた枝を持って追いかけられたり、脱穀でこぼれたもみ殻や豆を投げつけられたり、そんな遊び方ばかりでした。
 そのうち、父親か母親から聞いたのでしょう、みんながオタマジャクシを捕っているときでした。ふいにある子が立ち上がってわたしのほうを振り返り、お前は母ちゃんから生まれたんじゃなくて桃から生まれたんだってな、と叫びました。みんなが振り向きました。風さえ息を止めました。だれかの指先から水滴がみずたまりに落ちたとき、わたしは我に返って、走って家へ帰りました。今でもよく覚えています。火をおこしていた母の背中に抱きついて、しばらくそのままひっついていたのですが、思いきって尋ねました。それで、母親が衣を洗いに行く川で大きな桃が流れてきて、つかまえて持って帰ってきたという話を初めて聞いたのです。
 その話を聞いて、幼いながらに、なにやら足がすうと消えて宙に浮いているような心地と、大きなものにがっしりとくるまれているような心地がいちどきにしました。次の日からも、わたしは村へ行って、ほかの子たちが遊んでいるのを草の中に座って見ていましたが、それまでのようにただ寂しいだけではなくなっていました。もし桃が母に拾われていなかったら、別の人に拾われて、あの子らの誰かと兄弟になっていたのだろうか。そうしたら、わたしもあそこで一緒に遊べていただろうか。それとも、わたしを拾った家はこのにおいのせいで、村の中で爪はじきにされただろうか。もっともっと流れて、海へ出ていたかもしれない、そうしたら今頃どうなっていたのだろう……。それまで家や村を抱く山に向こう側があることを考えたこともなかったのですが、わたしの想像は川に沿い、まだ見たことのない海にまで広がっていきました。それからわたしは、自分の母と父が他の子の両親よりもだいぶ年をとっていることにも気が付きました。そういうことは母と父を見る眼を新しくし、母に拾われ育てられたことの有難さが、小さい胸にもじんじんと染みてくるのでした。
 わたしの心持はまったく変わってしまいましたが、そんなことは村の子どもたちは知りません。あの子たちから見れば、わたしは変わらず、遊び仲間ではないけれど、時々追いかけ、ちゃんばらの数合わせにするための子でした。大きくなっていくにつれて、わたしはだんだん他の子たちに遊ばれることに気持ちがおさまらなくなってきて、夜な夜な、夜具から抜けて山を歩くようになりました。夜には、昼間には息をひそめているものたちが出てきます。ですが、月のない夜であっても、物の怪すらわたしを避けているようなのです。いま思えば、わたしから桃のにおいがするから、それを嫌ったのでしょう。でも人だけでなく物の怪すらわたしを疎んでいると分かって、もう夜すらも心安いときではありません。頭の中で赤と黒が明滅し、その中に村の人々の顔が思い浮かびました。わたしは迷うことなく村へ向かい、最初は小さな細工程度のいたずらを、そのうち外に出ている道具を壊したり、食べ物やものを取って山へ捨てたりと、日をおかずに夜の村へ行くようになりました。
 夜な夜なそんなことをしつつも、父と母のことは、それまでにも増して大切に思っていました。でも二人をありがたく思えば思うほど、なんだか申し訳ない気がしてくるのです。父の薪集めや猟、母の炊事を手伝っても、その思いは離れませんでした。村の人たちから、夜に鬼がやってくるという噂が入ってきたころ、わたしはふと考えが浮かんで、こんなことを言ってみました。
「鬼ヶ島に悪い鬼が住んでいると聞きました。」
 すると父が「時々村に来て悪いことをするのでみんな困っている」と答えたのです。わたしは間をおかず「それではわたしが行って退治しましょう」と、二人へ言いました。
 わたしは多分、すこし息が苦しかったのです。自分が桃から生まれたと知ったときから胸の内にあった山の向こう側に、行ってみたかったのです。
 初めて遠くへ行くことに胸を震わせながらも、自分のにおいのことが心配でした。初めてわたしに会う人がするあの表情、小さいころにあんなに嫌だったあの目線をまた受けることになると思うと、旅支度の手がおろそかになります。そこで母に、きびで甘い甘い団子を作ってくれるよう頼むことにしました。なにか変な顔をされたら、団子のにおいだとごまかそうと考えたのです。
 長くなりましたが、そう、それでわたしは犬と会ったのです。実は、犬には団子作戦は失敗しました。しかも団子はしっかりもらって、ちゃっかりしたやつです。でも、嫌な顔をするかわりに、同じにおいのする場所を知っていると言うのです。そこで、そこへ行ってみることにしました。
 犬と会ってからは、とても楽しい旅路でした。わたしは、川がこんなにも広くなることも、日の光が水の上で粉々に散らばることも、水の上に淡く雲がかかってまるで天の上にいるようになることも知りませんでした。それに、犬といると気易いのです。わたしのにおいのことが知れてしまっていましたから。途中で雉と猿にも出会い、だんだん、自分と三人がまるで一つの生きもののように思えてきていました。そんなことは初めてで、体の内側からずっとくすぐられているようで、こんなことになった今でも、三人のことを思うとつい笑ってしまいます。
 いよいよ犬の案内する島に着こうというとき、どうやって鬼をやっつけようかという話になりました。鬼退治が名目であることを、雉と猿の二人には言えていなかったのです。二人は犬とはちがって、最初から団子の話になったので、その島を目指しているわけまでは話していませんでした。そのときでもまだ、わたしは自分からこの旅の始まりについて自分から明らかにすることができなくて、そのまま「鬼」をやっつける段取りが決まってしまいました。
 段取りとは、あなたの知っている通りです。最後にわたしがかしらにげんこつをお見舞いするところまで、決めていました。かしらが出てくるまで、最後までわたしはどうすればいいのか迷っていました。でもかしらが鉄棒を振りかぶってもまだ、決心がつきませんでした。立ち働いてくれた猿と雉に、今更どう言えばよいのでしょう。無我夢中でこぶしを振り回すと、握った手に衝撃があって、かしらの叫び声が聞こえました。その叫び声に、わたしの体は硬直して、水がめが割れたように涙が出てきました。恥ずかしかったんです。雉と猿にも、犬にも、父母にも、急襲を与えたあなたがたにも。
 あれから、わたしは島のあちこちを歩きまわっていました。おもたげにふくらんで、恥ずかしいのか、それともこの上なく嬉しいのか、赤く染まった桃の実を、たくさん見ました。それに、えぐれた山も見ました。木が枯れた川辺も赤茶色の土も、見ました。あなたたちは、鉄も、金や銀の宝物もたくさん持っているけれど、島の病もかかえているのでしょう。
 わたしはこれから、どうすればよいのだろう。分からないけれど、でも、帰らねば。父と母のところに、「鬼ヶ島」から鬼を退治して帰ってこなければ。わたしはこれから、あなたたちの宝ものを分けてもらって、ここを鬼ヶ島ということにするんです。あなたたちを「退治」したから、もう村に悪いことは起こらないんです。そしてここは、わたしに「平定」されたから、もう安全な島ということになるんです。雉と猿が一体どこにいるのか気になるけれど、まずはかしらのところへ行って、宝物と島の呼び名のことをお願いしなければ。せめて、島を呼ぶのに「鬼」という字は使わないようにさせてください。そうですね、わたしは「御丹ヶ島」と呼びたいと思いますが、ここは、本当はなんという名前の島なんでしょう。もしあなたと言葉が通じた
ら、それを聞いてみたい。



「オンニガシマの調査レポート」試訳

報告書番号: 1
年齢: 85 歳 ( 推定)
性別:女性
調査コード:未定

 「わたしは幼かったころから、いつもお腹を空かせていた。川から魚はとうに姿を消していて、畑の野菜は貧弱できちんと育つものはなかった。村はいつも食糧難にあえいでいたけれど、わたしの祖母は『魚がワナにかからない日はなかった』とか『そこらじゅうに食べられるものが生えていたから、出かけるときに食事を持っていくことなんてなかった。出かけた先で昼食を食べることになったときには、近くにある野菜を採って、新鮮なまま調理して食べていた』と話していた。けれど、わたしが覚えているかぎりでは、そのようなことはまったく想像がつかないようなことだった。
 わたしが生まれる何年か前に、金や銀や鉄や、そういう金属をとれる石が掘り出された。島の様子がおかしくなったのは、そのときからだったらしい。地面は穴ぼこだらけになって、土地は禿げ上がった。独立していた川や湖がつながってしまい、土はさび色や白っぽい緑に染まった。今でも覚えているけれど、大人たちは畑仕事から帰ってくると集まって、野菜の根っこが弱っていると、自分たちの畑の様子をめいめい言い合っていた」

「島から金属が見つかると、盗賊がやってくるようになった。噂がひろまって、島は度重なる襲撃から自衛しなければいけなくなった。自分ひとりで出かけられるようになると、わたしはよく集落の外に散歩に出るようになり、時には散歩中に水平線のあたりに船団を見つけて集落まで走って帰って大人たちに教えることもあった。船団は、盗賊のこともあれば、商人たちの船のこともあった。
 商人たちは、なんの使いようもないガラクタを不思議な道具だなんて言って売りつけてくることもあったけれど、大事な情報源でもあった。禿げた土地に木を植えるとよいと教えてくれたのも、商人だった。木の根っこが土を解毒して、野菜がよく育つようになるのだと聞き、島の大人たちは桃の種を一袋分買って、穴ぼこだらけになってしまったところに植えた」

「あの人たちがやってきた日も、わたしが船を見つけて同じように大人たちに教えてあげたのだった。あの人たちの船をずいぶん遠くからもう見つけていて、こちらに向かってきていると分かっていたけれど、何者なのかは最後まで分からなかった。一艘の船に、男と犬と猿と雉のような鳥。そんな人たちがこの島になんの用があるのか、見当がつく人がいたら教えてほしい。みなで相談して、集落の入り口の櫓のところであの人たちを迎えて、この島に来た理由を訊いてみるということになった。その役目を、わたしの叔父が引き受けた。
 叔父を送り出したあと、叔父が帰ってくるまで集落の全員で首長の家に集まった。母の息が震えているのが聞こえた。静寂の中に、叔父の叫び声が鋭く響いた。首長の家に集まっていた男の人たちは、めいめいの武器を掴んだ。最初に、剣を手にした首長が家を飛び出て、みんながそれに続いた。最後の男の人が家を出ると、わたしは結局あの珍客が一体なにものなのか、一目でも見てみようとした。入り口から鶴のように首だけをのばすと、目から血を流した叔父が、よろけているのが見えた。背後の家の中から、声にならない叫びと驚きで息をのむ音がわたしのいる入り口まであふれ、わたしは母に押しのけられた。母は外に駆け出て叔父の手をつかむと、部屋の奥まで引っ張っていき、横になれる場所をあけた。外から別の叫びがして外を振り返ると、砂まじりの風が、いきおいよく吹き込んできた。風は、桃に似た匂いがした気がした。目を開けると、首長が見え、誰かがその前で膝から崩れおちていった。風がもう一度強く吹き、風にのって潮騒が聞こえた。すると、首長の前でうなだれていた人がゆっくりと立ち上がり、ようやっと歩けるという感じで、ゆっくりと立ち去った。不思議なことに、それを見ていた男たちは、だれもその人の後を追わなかった。みんな、魂が抜けたようにただ立ち尽くしていた。家の中では、女性たちが叔父の手当てのために、慌ただしく立ち働いていた」

「男の人たちは、その日以来様子がおかしくなってしまいました。みんな口もきかず、何日間も正気をなくしたように腑抜けてばかり。男の人たちが家でぼんやりしているだけだから、畑仕事とか島の反対側で桃を植えたりする仕事は、すべてお母や他の女の人たちがやっていました。
 わたしは、あんなことがあった後でも、相変わらず散歩に行っていました。そうしたら、あの日から数日後に、あの人に会ったんです。
 この日のことを、これまでも何度だって思い出して、思い返して、心の中で何度もこの日を過ごしました。歳をとるほどに、懐かしくなる。そう、懐かしい……あの人はその辺りにたった一人で座っていて、海の方を見るともなしに見ていました。わたしが近づいていくと、わたしに気づいて、あの人とわたしの目が合いました。この間みたいな荒々しい様子はなくて、むしろ疲れてやつれて、悲しんでいるようでした。あの人がゆっくりと息を吸い込み、胸が傍目にもわかるほど膨らむと、ぶわっと声があふれ出ました。そのままあの人は話し続けたので、わたしは隣に腰を下ろして、その声を聞いていました。それは聞いたことのない言葉で、わたしたちの言葉に似ている気がしましたが、よく聞くと、知らない言葉だったのでした。
 あの人がしゃべり続けているのを聞いている間、わたしは前に鏡というものを見たときの感じを思い出していました。前にいちどだけ、商人が持ってきた鏡をのぞき込んでみたことがあるんです。「鏡は何でもそのままの姿を映すんだ」という商人の説明を聞いても、のぞき込む鏡の中に映っているのが自分だとは、わたしはどうしても思えませんでした。鏡に映っているのは、わたしに瓜二つの、でもこの世ではない別のところの者に見えました。
 そんなことを考えていると、急に何かがあの人の声から飛び出して、わたしはどきっとした。『オンニ』。あの人はそう言いました。それも二回も。わたしが思わずあの人の方を振り返ると、あの人がわたしから目をそらしたのが分かりました。わたしにはその言葉しか、あの人が独り言のように話し続けていた中では分からなかったんですけど、このたった一言で、肌をじかに触れられたようにはっとしました。これは、女の人が女の人に愛情をこめて呼びかける言い方なんです。だから同時に、わけが分からなくもなりました。この人は、もしかして女の人なの? でも、訊いてみる前にあの人は立ち上がって、わたしを残していってしまった。わたしの周りに桃の実の匂いだけが漂っていて、あの人がいたなんて幻のようでした。あの人が残していった匂いなのか、太い枝が熟した実の重みでたわんでいる桃の木からただよってきたのか、いったい、どちらだったんでしょう」

「もうあのお人と会うことはなかった。姿を見かけることもなかったけんど、またちょっとしたら集落に現れて、わしらの宝、島を掘って採った金や銀をくれないかと言いよった。女たちがあのお人と話しおうて、宝物を全部やっちまうことにした。もし話しおうたのが男らやったら、今のようにはなっとらんかったかも知らん。
 金銀をもらったあのお人が、仲間を引き連れて島を離れてすぐに、季節はずれの台風がやって来よった。何日間も、みんな家から出られんかった。ようやっと台風がいなくなったときには、わしらの家じゃあ食べ物が尽きかけとった。ばあさますら、こんな嵐は初めてだと言うとった。畑もなんもかんも流されて、川は泥で黒くなっとった。畑をもとに戻すんには骨が折れたけんど、台風は島をきれいさっぱり洗いながしてくれとった。次の年には、川に魚が群れをなして泳いどった。そんなん見たんは、初めてやった。
 いつの間にか、犬と猿と雉みたいな鳥を連れたあのお人は、こん島の救い主だと言われるようになっておった。あのお人が台風を呼び寄せたっけ、食べものに苦労するっちゅうことがなくなって、島から金銀を持って行ってくれたっけ、盗賊がもう来んくなった。
 あんたら、よう覚えとき。わしらの島は、あのお人に守られとる。あんたらがこん島に船つけて島に上がってくるんを好きにさせよったから、あんたらは地面は掘り返すし、わしらを無理に働かせよる。けどな、あのお人がきっとまた、桃のにおいさして来てくださる。こんなことな、あんたらいつまでも続けきらんかんな」



「オンニガシマの調査レポート」翻訳日記

*月*日
 ひいおばあちゃんのことが書かれた古い記録を見つけた。今日は、少し気分がよかったから、横になってばかりいるんじゃなくて、何かしてみようと思って、でもやることも思い浮かばなくて、久しぶりに大学の図書館のホームページにアクセスして、なんとなく「御丹ヶ島」って検索してみたら、これが出てきた。御丹ヶ島の調査報告書で、読んでみたら、たぶんひいおばあちゃんのことだと思う。報告書に書いてあった話が、ばぁばから聞いたことがある話と似ているところがあったから。まだざっとしか読んでないけど、翻訳して、ばぁばとかも読めるようにしてみようかなと思った。なにかやることがあれば、ばぁばも安心するかもしれないし。

*月*日
 報告書の最初のところを訳した。鉱物資源が見つかったのは、ひいおばあちゃんが生まれる少し前だったらしい。侵略の前から鉱物が見つかってたなんて、知らなかった。当時はまだ輸入とかしてなかっただろうから、食べ物が本当になかったんだろうな。むしろ、少しは食べられるものがあったんだと思うと、驚く。今ほどは汚染もひどくなかったのかな。ひいおばあちゃんの祖母(わたしにとっては、ひい・ひい・ひいおばあちゃんになる……)の頃みたいなときがこの島にあったなんて、全然信じられない。でもこれは報告書だし、昔は本当にこうだったんだろうな。

*月*日
 報告書の続きを訳す。島に桃の木が多い由来が書いてあった。島に来ていた商人から、土壌の汚染浄化のために桃の種を買ったのだと。
 これは報告書だということになっているけれど、本当かな。「Merchants often passed off useless trashes pretending that they were magical utensils」なんて、まるでガルシア・マルケスの『百年の孤独』の真似ごとみたいだ。
「A heavy gypsy with an untamed beard and sparrow hands, who introduced himself as Melquíades, put on a bold public demonstration of what he himself called the eighth wonder of the learned alchemists of Macedonia. ( …… ) “Things have a life of their own, ”the gypsy proclaimed with a harsh accent. “It’s simply a matter of waking up their souls. ”José Arcadio Buendía, (……) thought that it would be possible to make use of that useless invention to extract gold from the bowels of the earth. 」
 実は報告書じゃなくて、報告書という体で書かれた作り話だったりして。
 それに、原文の英語が拙い。少なくとも、ネイティブが書いたものとは思えない。わたしが大学で書いてたエッセイですら、これよりもこなれた英語だったと思う。
 もしこれが作り話じゃなくて、本当にひいおばあちゃんの話したことなら、昔の島言葉から英語に訳されたものになる。話を聞いて報告書にまとめたのは、どこの人だったんだろう。

*月*日
 今日訳したところが、この報告書の聞き取りの目的だったのかもしれない。「犬と猿と雉みたいな鳥」だなんて、桃太郎じゃないか。これは桃太郎の伝承の聞き取りなのかな。もしかしたら、桃太郎たちは鬼ヶ島に行く前に別の島に寄っていて、その時の話なのかもしれない。だって、この聞き取りの中では、桃太郎は鬼退治をしていないから。
 それにしても、「桃太郎伝承」っていうなら、普通は桃太郎が主人公になるはずだけど、この報告書に出てくる桃太郎は、島にやってきた者の一人にすぎなくて、基本的には島のことが話されている。まるで、桃太郎は実在して、ひいおばあちゃんが桃太郎に会っていたみたいだ。
 ひいおばあちゃんはこの桃太郎らしき人たちが来た日のことを、若い頃のことだったけれど、歳をとってもありありと覚えていたんだな。報告書のこれまでのところと比べると、とても生き生きとしていて、目の前で起こっていることを話しているみたいだった。書かれている英語は簡素だけど、わたしもひいおばあちゃんと一緒に首長の家で怪我をした叔父さんを迎え入れているような気になったから、今までみたいに英語をそのまま訳すんじゃなくて、同じことを日本語で言いかえたらどうなるだろうと想像して、訳してみた。文字の間から言葉の中に入っていって、単語の裏側にまわって、書かれていることをじかに見に行ってみる感じ。改めて、なんだかふしぎだ。文面をみると単語が並んでいるだけなのに、実は中にこんなにも色んな情景がしまわれていたなんて。

*月*日
 今日初めて、訳しにくいと思った。英語が難しいわけじゃない。書いてあることを伝えるということが。
 今日読んだところは、ひいおばあちゃんが桃太郎らしき人と会ったという話だった。この話を聞き取った調査員とひいおばあちゃんは、もちろん赤の他人だったと思うけど、おばあちゃんはどんな風に話したんだろう。もうこれは、島で起こった出来事じゃなくて、若い女性の心の機微だもの。初めて耳にする外国語や、触れ合え得ない人に心ひかれている女の子が、おばあさんになるまで大切に大切にしてきた、思い出だもの。
 報告書に書かれているひとつひとつの言葉の向こうがわには、ひいおばあちゃんが見聞きした体験があるはずなんだけど、書かれている言葉に近づけば近づくほど、ひいおばあちゃんの見聞きしたことは、遠くなっていくような気がした。わたしはひいおばあちゃんのことを覚えていない。この報告書に初めて目を通したとき、まるでひいおばあちゃんの後ろ姿を見つけたようで、この中でひいおばあちゃんに会えるんじゃないかと思った。でも、英語で書かれている文面から、わたしが彼女の体験したことや彼女の感じたことを掬いとって日本語にすると、それはわたしが英語の言葉を通して見たものでしかなくなってしまう。日本語になったものは、ひいおばあちゃんが見聞きした情景や気持ちだって、言えるのかな。
 しかも、わたしが読んでいる英語も、誰が書いたか分からないものだし。
 ひいおばあちゃん、ねぇ、どこにいる? ここに、この中に、あなたはいる? それとも、わたしがあなたをかき消してしまっている……? あなたはそこで夢見がちにあの日のことを教えてくれるけど、それは本当にあなたですか?
 桃太郎と二人で海に向かって腰を下ろしているひいおばあちゃんに、呼びかけたい。わたしも「オンニ」と言ったら、ひいおばあちゃんは、英語の文面を超えてわたしを見つけて、わたしに語りかけてくれるだろうか。

*月*日
 今日、最後のところを訳して、報告書を全文訳し終わった。
 ここは、ばぁばとじぃじの話し方で書いてみた。ひいおばあちゃんの頃の島の言葉はこうじゃなかったとは分かっていても、英文を読んでいたら、頭の中でひいおばあちゃんが、この話し方で話し始めたんだ。報告書だからこんな風には訳しちゃいけないけど、でも、報告書であってもこれはひいおばあちゃんが話したことだから、ひいおばあちゃんに語りだしてもらいたいと思ってしまった。あたかもひいおばあちゃんが話しているように見えたとしても、これだってわたしがひいおばあちゃんに無理やり語らせたものになるんだけどね。わたしは、ひいおばあちゃんが話していた古い島言葉を知らない。この崩れた島言葉の向こうには、わたしは行けない。
 ひいおばあちゃんが採掘に反対だったことは、ばぁばから聞いてたけど、こんなにも忌んでいたとは知らなかった。ひいおばあちゃんは土壌の鉱物汚染のこわさを知っていたから、ばぁばとじぃじがやっていることを、あんなに嫌っていたのか。
 採掘時代のあとの近代化は、島にとっての二回目の桃太郎だったんだろうか。独立と国際化のおかげで食料は確保できているし、鉱物を輸出できるようになって、盗賊や入植者たちはいなくなった。でも、近代化が二回目の桃太郎だなんて言えるのは、特権的とまではいわないまでも、たまたまじぃじたちが第一次産業をやめて採掘の仕事のほうに早々に移ったからでしかない。島の土壌汚染はまだ残っているのに、近代化のことを島の救済だと考えることができてしまうなんて。
ひいおばあちゃんがもしその時代にも生きていたら、きっと近代化も嫌ったかもしれないな。島の土のことを一番に考えていただろうから。だから、ひいおばあちゃんにしてみれば、自分の子は島の土と毒された関係を結んだということだったのかもしれない。
 でもその関係がなければ、今のわたしはない。ひいおばあちゃんの報告書を見つけることも、よしんば見つけていたとしても、読むことができなかった。ひいおばあちゃんのことをこうして知ることはなかった。ひいおばあちゃんの声を、そう「声」ね……「声」を、聞くことはなかった。もし、ひいおばあちゃんの言ったとおりに、島にもう一度、本当の桃太郎がもう一度やって来て、島をきれいに洗い流して、鬼のような人たちが、鬼が、みな、島からいなくなっていたら。

*注
『百年の孤独』日本語訳(鼓直 訳、新潮社)
「メルキアデスを名のるジプシーが、その言葉を信じるならば、マケドニアの発明な錬金術師の手になる世にも不思議なしろものを、実に荒っぽいやりくちで披露した。(……)これをみた一同が啞然としていると、ジプシーはだみ声を張り上げて言った。『物にも命がある。問題は、その魂をどうやってゆさぶり起こすかだ』(……) ホセ・アルカディオ・ブエンディアは、この無用の長物めいた道具も地下から金を掘り出すのに使えるのではないか、と考えた。」





企画: 04. 二つの時点

 群島とは互いに分け隔てられていながらも、海や海底や気候を通じて、おなじなにかを共有していたりいなかったりします。
 それと同時に島もまた、それぞれの時間を持っています。現在があり、過去があり、未来がある。この展示では、それぞれの島=作品の時間をテーマにした作品を扱います。

企画作品一覧



修了展示 『Archipelago ~群島語~』 について

佐々木敦が主任講師を務める、ことばと出会い直すための講座:言語表現コース「ことばの学校」の第二期の修了展が開催された。展示されるものは、ことば。第二期修了生の有志が主催し、講座内で執筆された修了作品だけでなく、「Archipelago ~群島語~」というコンセプトで三種類の企画をもうけ、本展のための新作も展示された。2023 年8 月10 日と11 日に東京都三鷹のSCOOL で開催。

『Archipelago ~群島語~』展示作品はこちらからご覧ください。



「群島語」について

言葉の共同性をテーマとし、言語表現の新しい在り方を試みる文芸誌『群島語』
2023年11月に創刊号を発表。

今後の発売に関しては、X(Twitter)Instagram で更新していくので、よければ是非フォローお願いいたします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?