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高橋利明自転時点自伝 (高橋利明)

 5歳まで広島に住んでいた。
 だけど、広島時代の記憶はほとんどない。父の仕事の都合で、10 歳まで静岡にうつった。静岡に行ってから幼稚園に通いだした。私は12月生まれだし、背も低かった。年中さんまでは、おうちで両親とべたべただったので、同級生の中ではちょっぴり「おくれた」子供だったのではないかと思う。


 小学生になってからは、コロコロコミックを読むようになった。テレビゲームに夢中になったり(ポケモンとミニ四駆が大ヒットしていた)、釣りをしたり。
 ぼくも男子の群れに混ざって遊ぶようになった。ちょっぴりいじめられ気味の事もあったけど、自分がグループ真ん中に立つような事もあった。小学生の男子の関係は結構流動的なので、首を絞めてきた子と一番仲良しになったりする。(そしてその事に、大したドラマを感じたりはしない)バカだよねー!男子って

 あと、「知らねえよ!」と思われるだろうが、私は存外ロマンチストなので、小学校低学年のころから好きな女子がいた。だけど、女子と話すのは、いけん事やと思っていたんで、特にナカヨクなったりはしなかったけど、あれは紛れもなく恋だったと思います。

 父は、えばっていた。家族に対する、親密な態度・振る舞い方が不自然だった。いま思うと、家族が恐かったんだと思う。

 なので、うちでは母が中心だった。
 身体疾患をかかえながら、ワンオペで3人の子供を育てた。ハウスキーパーだった。ニューファミリーらしさ友達みたいなお母さんだったけど、第一子で長男坊の利明クンは相当甘やかして育てたのではないかと思いますが、というのも私、今でも原家族にべたべたなので。


 小学校5年生の夏休みに京都に移った。団地が多くて、治安が悪い地域だった。転校して一週間で、年下の男子に遊戯王カード(「ハーピィーの羽ぼうき」)をパチられて、泣き寝入りした。
 とはいえ小学校までは楽しかったし、恋もした。本当にきつかったのは中学校。成績どんどん落ちるし、カツアゲされるし、これまで「可愛いからOK!」という理由で許されていた「甘え」テクが効かなくなって、ちん毛も生えるしもう最悪って感じ。
 そんな現実から逃げるかのようにインターネットの世界へと没入していった。元々、ヲタの素質はあった。しかも、インターネット住民は俺みたいなヤツの吹き溜まりだったので、ラウンジ板の「雑談スレ」にはりついていた。
 購読する雑誌も、コロコロコミックから、週刊少年ジャンプになり、声優グランプリと電撃Gs マガジンに変わった。
 「はじめてのおるすばん」を違法ダウンロードして、エミュレーターで動かして、シコリまくった。
 当時、メディアは「ヲタ」や「ひきこもり」を反社会分子として報道していた。自分は、自分が堕落している事を自覚し、そのことを憂いていた。同時に、疎外していく事に対して能動的な態度をとりはじめた。「中浦和の星」というコテハンのお兄さん(ネオ麦茶の真似をして、エイプリルフールに犯罪予告をして捕まった人)から誘われて、在籍した中学校に爆弾予告をしたけれど、現実世界への影響はゼロだった。

 当時はメディアが覇権を握っていた。
 自分も中学生になってから、J-POP やTV バラエティが大好きになり、「楽しくなくっちゃテレビじゃない」フジテレビは「世界にひとつだけの花」や「踊る大捜査線2」を大ヒットさせた。自分は「いいとも」に出演して、タモリさんとテレホンショッキングな会話をするのんを妄想してニヤニヤしとった。


 父親がうつ病を発症した事をきっかけに、東京に異動することになった。(父は、調査部という、謎の部署へと異動した)
 自分は、ある種「底つき」に近い体験をして、躁のモードに入っていた。定時制高校に通いながら、二時裏を見て、シコって寝て、起きて定時制に通ってシコって…。

 定時制には色んな生徒が通っていた。自分はほぼ全員の生徒と「おしゃべりはするけど、一緒に遊びに行ったりはしない」くらいの距離を保っていて(距離をとられていたとも言える)、唯一の例外として斉藤くんという友達がいた。自分が二次裏で得た知識で、斎藤にマウントをとりにいったりしてたけど、斎藤はバカだから話通じないんだよ。自分は「バカには通じないなー」と思いながら話してた。
 ふたりの間には常に(ランシエール的な)不和が生じていた。それでも、斎藤は自分になついてくれていたので、高校生活では長い時間一緒にいたし、不和があっても一緒にいれるっていいことだと思わなくもない。

 ちなみに当時の二次裏は「知る人ぞ知る」的な態度をとっているプラットフォームだった。(少なくとも自分はそう感じている)(と、同時にインターネット文化の中心でもあった)自分は権威主義者なので、クリエイターとか、ギョーカイの人が見ているホームページに惹かれるところがあり、だけど、二次裏は2年くらいで卒業して「作画を語るスレ」というアニメマニアが集まるスレッドばっかり見るようになって卒業。作画スレに、いろんなアニメの礒光雄の作画パートばかりを集めたMAD 動画(BGM は宍戸瑠美「地球の危機」) を作ってアップした。YouTube で2 万回くらい再生されたけど著作権違反で消されて消えた。
 大体そんな感じ。ギャグマンガ日和。


 父親が会社をやめて、千葉に家を買った。
 自分は、夜間大学に入学。友達が出来たけど色々あって半年で通わなくなった。この頃は、人生で一番図書館を利用していたかもしれない。とにかくたくさん教養を身に付けなければないといけないと思って、映画もいっぱい見たし、バイトもいっぱいしなければいけない、と思ってたら、つぶれてニートになった。

 ニートの頃はゆたかだった。
 19歳から、23歳までの4年間はジョギングや犬の散歩、料理、筋トレ、サイクリング、一人カラオケ、ラジオ聞いたり、本読んだり、DVD見たり、ゲームしたり、ネットサーフィンしたりして時間を溶かしていった。
 もしオレがスラムダンクのミッチーだったら「俺はなんて無駄な時間を…!」とか言って反省する…、ポカリスエットをグシャッとやったりしたいとこなのだが、あんまりそういう気持ちにならないのは、矢張り根が楽天的からだらうか?
 メンタリティ的には、ベルエポック期のプチブルみたいな??? しらんけど。
 とはいえ、不安神経症的な部分があり、その為に行動が制限されることもある。でも、そこを抜ければ「生きていること自体がスゲー」って感じたりもする。
 「技術は絶対に上がっていく」と信じているから、私は唯物論者なんだと思う。
 つかこのフェーズで出てくるターム「プチブル」とか「唯物論者」とか、むっちゃヘーゲル=マルクスっぽいですね??
 そうでさ自分は大学に通わなくなった代わりに図書館に通って吉本隆明の「共同幻想論」を読んでいたのです。
 あとは南伸坊を読みあさっていた。その事になんとなくデスティニーを感じている。自分が美學校に通うようになったイキサツは(猫町倶楽部→)ピチカートファイブや大谷能生→岸野雄一→美學高といったものなのデスが、んてもって美學校に通いだしたのですが、執着するようになったのは、このニート期間があるからでは??執着するようになったポイントとしては此処が大きいのでは??って気がしていて、この時間がなかったら、美學校にこんなにも通ってなかったのかもしれません。勿論、映画美学校にも。美學校ってちょっとこわいところなので、美學校ちょっとこわいなと思って一年で通うのやめてたかもしれません。
 でも、そうならなかったのは南伸坊のことを思い出したから、南伸坊のことを思い出して勝手にデスティニーを感じたからかもしれません。美學校に通うのがわいのアイデンティティーやで、わいが清原やで!ってなったのは、ニート期間のおかげかもしれん。なんやろ、これ、これがデスティニーなん?って、なったのはニート期間に読んだ南伸坊のおかげかもしれません。あと「蛍なんですぐ死んでまうん?」って思うのは節子のせいかもしれません。
 あ、ちなみに自分「火垂るの墓」見たことないんです。「となりのトトロ」を見たことがないのが山内で、「火垂るの墓」を見たことがないのが高橋。わかったか。


 性欲というものは爆発します。しました。
 爆発したんです性欲が。
 カウンセリングを受けて、電車に乗れるようになり、アルバイトをはじめて、イベントに行くようになりました。KREVA のライブや、エロゲ声優のイベントに行くようになって、その時点では、まだよかった(?)んですが、そのあと、街コンに参加されまして、大きな衝撃を受けたんですね、私は。
 それまで私はアイドル声優とかが好きだったんですけど、非常にアイロニカルではありますが、今の言葉で言うと推しに対して「ガチ恋」よりだったんですねー。
 それが街コンになると、ガチのガチ恋になだれてしまうわけで。それで恋愛感情に歯止めが効かなくなりました。その結果、出会いの場に参加しまくりますようになりましまして、サークル的なものに行っては失恋感を味わい、習い事に行っては失恋感を味わい、それを素材に作品作りをはじめたわけです。何もかもをもあきらめるような気持ちでハダカの美奈子、否、私を差し出しましまして、そんな自分に酔いしれてもおりまして、そこそこの人気者になるようになれた、はいいのですが、恋人が出来ない方向に全力でアクセルを踏んでいるような気もしていた。
 だけど先月、初めて彼女ができた。その人が本当に最高のイイオンナで、今ちょっとびびりながら、愛してみたり愛されたりしています。そして自分がどう変わっていくのかを見ている。不安と期待がいりまざった状態。完。高橋先生の次回作にご期待ください。






企画: 04. 二つの時点

 群島とは互いに分け隔てられていながらも、海や海底や気候を通じて、おなじなにかを共有していたりいなかったりします。
 それと同時に島もまた、それぞれの時間を持っています。現在があり、過去があり、未来がある。この展示では、それぞれの島=作品の時間をテーマにした作品を扱います。

企画作品一覧



修了展示 『Archipelago ~群島語~』 について

佐々木敦が主任講師を務める、ことばと出会い直すための講座:言語表現コース「ことばの学校」の第二期の修了展が開催された。展示されるものは、ことば。第二期修了生の有志が主催し、講座内で執筆された修了作品だけでなく、「Archipelago ~群島語~」というコンセプトで三種類の企画をもうけ、本展のための新作も展示された。2023 年8 月10 日と11 日に東京都三鷹のSCOOL で開催。

『Archipelago ~群島語~』展示作品はこちらからご覧ください。



「群島語」について

言葉の共同性をテーマとし、言語表現の新しい在り方を試みる文芸誌『群島語』
2023年11月に創刊号を発表。

今後の発売に関しては、X(Twitter)Instagram で更新していくので、よければ是非フォローお願いいたします!

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