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輝けるプリズンホテルと再監獄化する世界 (小映)

巣鴨プリズン, 1947年

 強要された自白をもとに取調官の右手から調書が析出されるのではなく、おのが肉筆による自白書を要求されるこの場所はいかにもありふれた監獄の一室という態で、そのあまりにも殺風景で典型的な部屋のつくり、と文書作成を強要してくる男たちの権威主義的欲望を露わにした典型的に凡庸な顔つき、が互いに馴染みすぎており、心の底でこれは笑うべき箇所なのだと確信され、同時に笑ってはいけない要所なのだと自制され、まずは真顔で料紙と向き合い今にも筆を執ろう、という仕草を一瞬みせてとりやめる。取調官の瞳に一瞬浮かんだ期待の色が、即座に萎む。

 どこへも行けない、どこへでも行ける、は同じことの両面だ。表裏一体だ。ここを仮に表の世界とすれば、裏の世界は不可視の底に実在する。それなしにこちらの世界は支えられず、成り立たない。消失点で線路は消えず、その向こう側で裏世界へと連なっている。緑岬より先、喜望峰より先の世界をかつて葡萄牙の船乗りはそのように見立てたし、西印度群島はそのようにして表の世界へと姿を顕し、此の現実を逆様に転覆させた。通過する機関車や貨車の重みで線路の下の小石は角が砕かれ芯が割られ、世界は不可視の速度で変容する。変容する。それさえも見込んだうえに架橋された個の現実は演算され更新され、瞬間ごとに仮構されゆく。
 
 広島、長崎では原子爆弾の凄まじい熱風を耐え抜いた者たちが、あるいは奇跡的にほぼ無傷で生残した者たちが、その後数週ないし数ヶ月して医者にもわからぬ奇病を発し続々絶命するさなかと聞く。わが身の内なる演算はあと如何ほどでこの首が砕かれ散るかを暗に算出する。刑場の奥の絞首台もまた拠って立つ地を下方へ掘れば無根拠をたやすく露わにしよう。人も戦争も事象としては同程度に根拠をもたず従って数日先か数年先かA級かBC級か、その別に本質的な相違は見当たらない。

 監房へ食事が運ばれる。パンに牛乳、珈琲、ぜんざい。パンの中には焼き卵と白いピーナツが入っている。当初雑居房には隅の厠を隔てる内壁が存在したが、先ごろ扉の把手を使った自決者が出たため撤去が決まり、撤去作業に従事した際手に入れた鋭い刃面をもつ金属片の使いどきを推し量るのが、このところ胸中に占めるささやかな遊興と化している。みじめといえばその下はないこの私も長銃かつぎ鬼畜米英と逸り猛っていた私も等しく昏いものと今は感じられ、慰問に訪れる外部の者たちが纏う戦後社会の空気の醸す明るさはそのたび瞳につらく、心を焦がし灼き尽くしてただ去ってゆく。  

 印度尼西亜北方、トラック諸島。背と腹の皮が文字通りにひっ付いた密林での飢えと渇き。食糧を分けてくれた土民の小男を、密偵の疑いがあるから追って処置せよと命じる上官のゆがんだ相貌。弾薬はとうに尽きているから銃剣だけでひたすら追う。どうか逃げてくれと内心祈る。しかし甲斐なく土民は転倒し、突き殺さねば軍法に撃ち殺される天秤を突き付けられる。あの時間の過酷に比べ監獄であるここは同時に天国だ。あの時間の迷いが背負った罪償う場であり同時に飢えとは無縁に過ごせるこの場所で、代償に命を差し出すその未来時だけがすべてを圧しわが身を侵す。檻外から流れ込む米兵の哄笑にふと、数度だけ聞き覚えた幼いわが子のはしゃぎ声がよみがえる。過度なまでに拭き清められ光沢する木床へこぼれ落ち転がるピーナツの小さな白色が、湿り黒ずんで異臭を発する戦友の肉塊にうごめくウジの生命力を想い起こさせる。

→「サンシャインシティ プリンスホテル, 2022年」へつづく



サンシャインシティ プリンスホテル, 2022年

 ごくありふれている、雑然とした都心の窓景色。には違いない。

 ぼんやりと眺めているうちこの風景が、地層のように時間の記憶を積み重ねていることにふと気づく。けさ気がついた。とはいえそれはごく個人的なものでしかなく、同じように見える他人はたぶん存在しない。それほどにひとは、風景をまったく光学的には視ていない、ということなのだろう。まずは。 
 明けがたの都心方向には高層ビル上部で点滅する赤い警告灯の群れが揺らめき、異界の月光を照り返す海原にたゆたうようなその情景が好きなので、カーテンを開け放し窓際へ移動した椅子から窓外を眺めていると、ノートPCをつないだTV画面から流れる試写映像が窓ガラスへと映り込む。ちょうど市ヶ谷や六本木あたりの夜景に、来月公開となる映画のクライマックスやベッドシーンが重なる様などを、あてどなく見つめていたりする。そういえば揺らめく警告灯の群れは、怒りにわれを忘れた王蟲の群れにも少し似ている。そのまま眠ってしまった暁には、水平に差し込んでくる朝陽の不意打ちで目を醒ますことになる。都心でもこの高さだと日の出が拝めるのだなとか、せっかく遮光性の極めて高いカーテンが設置されているのにバカげているなとか、すでに幾度もくり返している寝惚けた感想が水泡のように湧いては弾ける。いま弾けた。爽やかな朝とはまったく言えない。緊急事態宣言下で格安になった都心の高級ホテルを泊まり歩く趣味も、連泊が数週単位に及ぶと日常になる。

 コーヒーでも淹れようかと思い立つ。きのう南池袋公園正面のブルーボトルコーヒーで買った豆の袋をとりだす。ミルは家から持ち込んでいる。ふと思いつき窓外の下方に南池袋公園の矩形を探す。雑司が谷方面のタワーマンションの影法師にまだ収まっている公園内に人の姿はなく、中央の芝生の昏さはかつて鬱蒼とした茂みに囲まれホームレスと不良の棲み処であった、小洒落たコーヒーショップなどとはおよそ無縁の南池袋公園を想い起こさせる。吉祥寺から遠征して来た『ろくでなしBLUES』の前田太尊はここで千秋と待ち合わせたし、噴水前の石畳が『池袋ウエストゲートパーク』や『デュラララ!! 』では敵対する不良集団の決闘の舞台になった。いまやそのすべては浄化され茂みは伐採され、石畳が剥がされたあとに敷かれた芝生の維持費を公園地下を使用する営団地下鉄が支払う豊島区モデルは都知事から顕彰される。いや地下に貯水池を置く水道局、だったかもしれない。 
 「ほんとうに窓、好きだよね」 
 ズルズルと枕を移動させながら、ねむたげな声で瞳が言う。振り向かず適当に応じたのが不満だったのか、ベッド上から直に左肩へ寄りかかってきた瞳が何を見ているのか尋ねるから公園と応える。
 「むかし処刑場だったんだっけ」
 「それは東池袋公園。こっちは南池袋公園。」 
 コーヒー、二人分淹れて正解だったなとおもう。

 乳幼児を抱えた忙しない日々のなか夫の浮気のを知ってしまったと相談に乗るうち、あるとき物静かな瞳が喫茶店で堰を切ったように慟哭し、これはいま思えばということだけれどその日を境に別の力が働き一線を越えてから、もう七、八年が経っている。子どもはこのコロナ禍中に中学へ進学し、ごく稀にだが泊まりで過ごすことを彼女のほうから求めてくるようになっている。と書いてそうか彼女の子は、もうあの日の自分よりもずっと歳上なのだと気づき愕然とする。昭和天皇崩御の冬は小学生で、急遽発生した休日に、仲の良いクラスメイト数人を連れこのホテル地下の巨大ショッピング
モールへ遊びに来た。埼玉の最寄り駅からも数km離れた公立小学校へ通い、電車にさえ乗り慣れない友達を率いて東京へ向かうその時点ですでに冒険だった。突発的な思いつきだったから水族館やプラネタリウムへみなで入るお金はなく、けれどガラ空きの巨大モールを走り回るだけで楽しかった。数十年後も思い出す特別な一日になるなんて想いもよらず無邪気であった当時すでに他界していた浦和のおじいちゃんの父、つまり曽祖父がさらに半世紀近く前、ここに収監されていたと知るのはずっとあとのことになる。
 「サンシャイン60 のビル名の60 って、何か知ってる?」と瞳へ尋ねる。「60 階でしょ。」すでに窓外への関心を失って備え付けの白いコーヒーカップを片手に昨晩のピーナツを頬張りながら、無音で流れるモニター上の東欧映画を眺める瞳は応える。
 「そう、60 階。でも階数をわざわざ名前にするビルは珍しいよね。東京裁判で死刑になって、ここで処刑されたA級戦犯7人、BC 級戦犯53 人。合わせて60 。」

 見下ろす視界の右端で、朝の陽光が西武デパート頂上部へ反射し網膜を突き刺してくる。アルファベットをSEIBU と並べた大看板。この文字列はかつて駅前の一帯で最も高い位置にあり、池袋駅の反対西口側地上からも見えていた。全面ガラスのビル壁面が東京で一般化したのはバブル終了後の90年代以降のことで、上層部のみを“ほぼ全面ガラス”とする池袋西武の様態はこの意味でも珍しかった。「上層部のみ」としたのは、そこが南北に細長い屋上遊園地のあるデパート最上部よりさらに上階へと突き出た特殊エリアだから
で、90年代の初めこの最上階部にはのちセゾン美術館となる前身の西武美術館があり、のち別館へ展開しLIBRO となる書籍部門や路面店となる音楽部門WAVE、独立した店構えをもつ美術部門アールヴィヴァンや洋書部門NaDiff がこの一箇所に集まり、すぐ下の階では初期のLOFT が開店するなど、渋谷六本木のイメージが強いセゾン文化の知られざる中核がここにもあった。セゾン出身の文化人のなかでも、カルチャセンターに勤務した作家の保坂和志やWAVE店員だった中東音楽のサラーム海上、セゾン事業部出身の美術批評家・林道郎などは池袋セゾン発と言え、まだ無名の彼らと子どもの自分が恐らく西武地下の連絡通路ですれ違っていたという想像は少し楽しい。またこうして名を並べてみると、シブヤ系セゾン発の阿部和重や佐々木敦、中原昌也らが醸した都会的求心力とも明白に一線を画す一抹の田舎臭さが趣深い。
 「それでひいおじいさまはどうなったの。そのとき死んじゃったの?」
 「サンシャイン60 分の1。東條英機より少しあとにね。」
 ひとは多かれ少なかれ、各々が属す時代の空気に染まりきり、その固有の重力を引き受けて生きるしかないのだろう。その時代と場所が供給するフレームを箱庭として生きていくしかないのだろう。あのころ西武線改札へと連なる地下通路の柱には、糸井重里による「おいしい生活」のキャッチコピーが踊っていた。

→「巣鴨プリズン, 1947年」へつづく



「巣鴨プリズン, 1947年」参考文献/資料/展示

 飛田時雄『C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン』草思社 2011
 織田文二『看守が隠し撮っていた巣鴨プリズン未公開フィルム』小学館 2000
 田嶋隆純『わがいのち果てる日に 巣鴨プリズン・BC級戦犯者の記録』講談社エディトリアル 2021
 柳広司『トーキョー・プリズン』角川書店 2006
 安部公房「壁あつき部屋」(安部公房全集004)新潮社 1997

 小林正樹監督作『壁あつき部屋』1956
 小林正樹監督作『東京裁判』1983

 ホー・ツーニェン《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》展 山口情報芸術センター 2022


「サンシャインシティ プリンスホテル, 2022年」参考文献

 阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』新潮社
 村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』文藝春秋





企画: 04. 二つの時点

 群島とは互いに分け隔てられていながらも、海や海底や気候を通じて、おなじなにかを共有していたりいなかったりします。
 それと同時に島もまた、それぞれの時間を持っています。現在があり、過去があり、未来がある。この展示では、それぞれの島=作品の時間をテーマにした作品を扱います。

企画作品一覧



修了展示 『Archipelago ~群島語~』 について

佐々木敦が主任講師を務める、ことばと出会い直すための講座:言語表現コース「ことばの学校」の第二期の修了展が開催された。展示されるものは、ことば。第二期修了生の有志が主催し、講座内で執筆された修了作品だけでなく、「Archipelago ~群島語~」というコンセプトで三種類の企画をもうけ、本展のための新作も展示された。2023 年8 月10 日と11 日に東京都三鷹のSCOOL で開催。

『Archipelago ~群島語~』展示作品はこちらからご覧ください。



「群島語」について

言葉の共同性をテーマとし、言語表現の新しい在り方を試みる文芸誌『群島語』
2023年11月に創刊号を発表。

今後の発売に関しては、X(Twitter)Instagram で更新していくので、よければ是非フォローお願いいたします!

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