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ただ其処に在るということ/ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン外伝 ちょっと思ったこと

 ヴァイオレット・エヴァーガーデンは近年のアニメ作品の中でお気に入りの作品の内のひとつだ。ネット配信の多いこの時代にリアルタイムで深夜アニメを見る機会は減ってしまったが、Netflix独占配信だったこの作品に関してはBS11で毎週欠かさず視聴していた。

 この作品を見つけた経緯については覚えていない。恐らくアニメ作品をまとめた紹介動画経由だと思うが、作品の背景とキャラクターの第一印象で見ることを決めた。当時の私は京都アニメーション作品に親しんでいたわけではなく、見たことがあるのは涼宮ハルヒの憂鬱とクラナドくらいだった。(今ではヴァイオレットの他に響け!ユーフォニアムも視聴してすっかり大好きなアニメ会社になった)

 深夜の放送ながら私が全話完走することができたのは作品の出来がよかったからに他ならない。“出来が良い”というのは美術が美しいとかキャラクターデザインが秀逸だとかそういう面で語られることもあるが、私にとっての“出来が良い”は“感情を揺さぶられたか”だった。この目に見えない評価を文章として書くのはとても難しいが、私にとっての評価基準は常にそこだった。アニメでも、ゲームでもそれは変わらない。

 もっと具体的に書くならば、約24分間のアニメーションの中で登場人物を用いて脚本を物語として昇華できているか。ヴァイオレット・エヴァーガーデンは1話完結型の物語が多いため、ヴァイオレットとメインキャラクターの行動の起承転結が、物語としての起承転結も描けているか。そこに音楽と美術と演出が合わさることで、脳裏に焼き付くような映像が生まれ私たちは感情を揺さぶられるのだと私は思っている。

 このヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品は作品名通りヴァイオレット・エヴァーガーデンというひとりの少女の喪失と成長を描く物語であった。1話とて欠けていい出会いはなかった。
今回上映された劇場作品、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 ―永遠と自動手記人形―』はこちらも作品名通りヴァイオレット・エヴァーガーデンの外伝……ヴァイオレット・エヴァーガーデンという少女以外のキャラクターを中心に据えた物語なのである。

 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのアニメシリーズ同様、手紙を使った、手紙だからこそ伝えられる物語を今作でも描いている。手紙という形式は戦争が終わり電気が普及しつつあるアニメ内の世界はもちろん、現代の私達に当てはめても通じる表現なのだろう。とはいっても私は手紙を出したことは人生でも数えるほどしかなく、小学生の時に夏休みで遊びに行った場所から送ったくらいだった。しかし、直接会って言葉では伝えられないことを文章に認めるのは幾らでもあることだ。今作ではこの手紙だからこそ伝えられる物語という点について、面白いことにTVシリーズとは真逆の物語を描いていると私は思った。

 ヴァイオレットが出会うイザベラとテイラー、このふたりが紡ぐ物語は決して幸せばかりではない。かつてのヴァイオレットと同じく過去には多くの苦労をし、そして今生きることを嘆いている。ヴァイオレットははじめは教育係として、そして友人としてイザベラと触れ合ううちに、彼女の心を変えていく。かつてヴァイオレットが彼にされたように。
テイラーはヴァイオレットの元を訪れ、一緒に仕事をしていくうちに彼の心を変えていく。彼が当たり前のように普段行っていることも、テイラーから見れば素敵なことで。彼から無意識に教えてもらったことを当然のように夢として語る。

 TVシリーズ10話のアン・マグノリアの話で描かれた連日ヴァイオレットが書き続けるほど膨大な量の手紙とは対象的に、外伝に登場する手紙はとてもシンプルなものだった。しかし、たった一行の文章でも、手紙を送り受け取ったふたりの心は同じ気持ちで繋がっていて。想いが、幸せが伝わっているのだ。“ただ其処に在る”ことこそが希望であり、望みなのだから……。振り返ってみれば、この物語は『幸せ』でいっぱいだったではないか。エリカもアイリスもルクリアも、ほら……。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 ―永遠と自動手記人形―』は10月10日まで上映予定です。