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なぜ、学びつづけるのか?

社会人約20年目。40代になって、今更ながらに「学ぶ」ことが楽しいと思えます。

今回の思考整理のお題は「学び」です。

「学びなおし」や「リカレント教育」などなど、大人の学びについては色々と言われておりますが、「勉強しないとヤバい」的な感覚で取り組みたくはないものです。

私には小学生の子供が2人いますが、自分が小学生だった時と比べると、いやぁーちゃんと勉強してますねw これは奥さんの好影響だと思います。私は記憶にある限り、本当に勉強嫌いな学生でした。小学生の頃は、祖母に面倒みてもらっていましたが、宿題をいっしょにやってもらったり、そもそも宿題が何かを同級生の親御さんに電話で確認してもらったりしていていた記憶があります。。天国のおばあちゃん、ごめんなさい。。。
こんな状態は、大学受験まで続き、結果的に二浪しても志望校に受からない始末。(実家の父ちゃん・母ちゃん、ごめんなさい。。。)
とにかく、「勉強しなさい」が本当に、マジで苦手でした。特に暗記もの。未だに苦手です。だって、分からなかったら調べればいいじゃん。。

そんなこんなで、とにかく、「勉強」と「テスト」は大の苦手でした。いや、今も苦手です。でも、今は「学ぶ」ことが楽しくてしょうがない。これは一体何なのか?

■実務と学びの往復

私が「学ぶ」ことが楽しい。と自覚し始めたのは、2018年に事業構想大学院大学に入学してからです。当時39歳、40代を前に、「何かを変えたい」という想いが強くあり、社会人大学院を探し始め、あまり周りの人が通っていない事業構想大学院大学(MPD)に通い始めました(この辺は、性格でてるなと思います。)

大学院では、最初は「単位をとらなきゃ」という動機が強かったですのですが、ある時から、「実務」と大学院での「学び」の往復を実感し始めました。大学院で学んだことが、実務で活かせる。実務で得た経験が、大学院の学びで活かせる。この往復活動が、とにかく楽しく感じました。学ぶことが、誰かの役に立っている、そして自分自身を高めている、という実感に繋がっている感覚でした。

■「学びなおし」ではなく「学び続ける」

2020年3月に事業構想大学院大学を修了し、2021年はプロティアン・キャリア戦略塾に1期生として入塾。こちらは、最初は本業の業務のための参加でしたが、途中から完全に自分自身の学びが目的となっていました。これも、ある種の「実務と学びの往復」です。

そして、今次なる学びに進もうとしています。不思議なもので、ひとつひとつの学びの目的はすべて異なるのですが、私の中では連続性があります。事業構想大学院大学での学びがあったから、プロティアン・キャリア戦略塾に進みました。プロティアン・キャリア戦略塾での学びがあったから、今また新たな学びの場にチャレンジしようとしています。

こうなってくると、人生=学び、になってきます。そして、学びと実践の往復。リカレント(recurrent)とは「循環する、繰り返し生じる」という意味です。「学ぶ」ことは目的ではありません。「学ぶ」→「実務で活かす」→「実務で学ぶ」→「また、学ぶ」・・・この繰り返しこそが、リカレント。

こう考えると、学ぶことは生きること。であれば、「学び続けなければならい」と気負うものではなく、自分の人生に「学び」というスパイスをうまく取り入れて、楽しんでいくことこそ大事ではないか?と思う今日この頃です。

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