「ケンセイ」と「マルモイ」

noteを始めてから一か月が経つというのに、「記事を出さないとはどういうことか」と、心の中の野党が声を上げ始めてきたので、のろのろと駄文を書き始めた。ご高覧いただければ幸いである。

2018年2月27日、韓国国会の教育文化体育観光委員会である出来事が起こった。当時、副総理兼教育部長官の金相坤(キム・サンゴン)に対し、野党自由韓国党の李恩宰*(イ・ウンジェ)議員は金長官が所有する不動産物件に関する質問を行っていた。金長官の発言をめぐり、次第に李議員は語気を荒げ始めた。議事進行をしていた柳成葉(ユン・ソンヨプ)委員長が仲裁に乗り出すも、李議員は収まらなかった。

柳委員長:落ち着いて質問してください。落ち着いて....                  李議員:いや、落ち着いて質問しているのに、ずっと途中でケンセイしていらっしゃるじゃないですか?  

このやり取りの中で、李議員は「ケンセイ(겐세이)」という単語を使った。「ひょっとして『牽制』?」と思った方、大正解である。日本統治期の名残で「チラシ」(意味は「悪質なデマ」)や「オデン」(意味は「韓国風練り物」)などといった日本語が韓国語の単語として存在する。「ケンセイ」はその内の一つなのだ。なお、韓国語で「牽制」は「견제」という単語を使うことが一般的だ。

一方、柳委員長は李議員に対し、こう発言した。

柳委員長:...(中略)... 李恩宰委員が先ほど質疑答弁途中に、私に対しとても不敬で、適切でない表現を使いました。...(中略)....しかし、私の記憶では、それは日本語だと思います。...(中略)... 三一節、独立記念日を控えて、公式の場で「ケンセイ」(括弧は筆者)という表現を使って、委員長に抗議することは、大変不敬であり、適切でないと考えます。...(後略)....

柳委員長は、「ケンセイ」が日本語(正確に言えば日本語由来の単語)であることを理由に、李議員を逆に注意した。

問題の場面は上記動画の2:24~

こうした事例は、ほかにもある。2018年11月7日に行われた国会予算決算特別委員会の会議における、自由韓国党の趙慶泰(チョ・ギョンテ)議員と「共に民主党」の朴洪根(パク・ホングン)議員のやり取りを見てみよう。

趙議員:...(中略)...同僚委員の発言に対して、あれこれ「ヤジ(야지)」を飛ばすといった、そのような間違った行動から直さなければなりません。                                                                    (中略)                                                    朴議員:...(中略)...我々が野党議員のご発言に対し、ヤジを飛ばした覚えはありません。....(後略)...

ここで両議員は「ヤジ(야지)」という単語を使っている。勘の良い読者諸兄姉ならお気づきのことだろう。「ヤジ」は日本語の「野次」から由来する。通常、「ヤジ」は「야유」や「놀림」という単語を使う。なおここでも、李議員が「ヤジ(야지)をする議員は退席して下さるよう望みます」と発言した。                  

これに対し、「共に民主党」の呉怜勳議員は「...(中略)...大韓民国を代表する国会議員として品格を持ち、品格ある質疑がなされるよう、積極的な協力をお願いします...(後略)...」と発言した。



上記の動画の中では(1:58~)、「これが国会の品格(なのか)」「美しい我が国の言葉をつかわなきゃ」などといったネットユーザーからの批判を紹介し、最後にアナウンサーが「美しい我が国の言葉を使わなきゃね」と締めている。

以上2つの事例で明らかになったのは、「日本語由来の単語を公的な場で使うことに対する忌避感」が存在する、ということである。読者の中には「過剰反応だろ!」「日本語でも外来語をたくさん使っているじゃないか!」「韓国語は外来語を使わないのか!」と思われる方もいるかもしれない。一方で、注目してほしいのが、日本と韓国の関係性である。

ご存じの通り、1910年の韓国併合から1945年の日本の敗戦まで、朝鮮半島は日本の植民地だった。植民地体制下では、朝鮮語の言語政策は日本の意向によって左右された。1930年代後半以降になると、朝鮮語を教育・使用することが有形無形で制限され、代替として日本語を使用することが奨励(あるいは強制)されるようになった**。こうした歴史を持つ彼らにとって、日本語は単なる外国語ではない。かつて、朝鮮語を忘却の彼方へと追いやろうとした存在でもあるのだ。

前述の通り、「ケンセイ」や「ヤジ」に該当する単語は韓国語にも存在する。にも関わらず、日本語由来の単語を、あろうことか「大韓民国を代表する国会議員」が使ったことは、「戦前の忌まわしい歴史を彷彿させる行為」「大日本帝国のような振る舞い」「自国の言語を自ら捨て去る行為」のように映っただろう。ゆえに、李議員らはネット上で「美しい我が国の言葉を使わなきゃ」などと批判されたのだ。

とはいえ、やはり「過剰反応だろう」と思われる方もいるだろう。そんな方のために、現在公開中の映画『マルモイ ことばあつめ』***(オム・ユナ監督)をご紹介したい。

舞台は1940年代の朝鮮京城(現在のソウル)。実際にあった事件(朝鮮語学会事件****)をモデルに作られたこの映画には、朝鮮語を制限され、日本語で話すことを強制されるシーンが随所に描写される。こうした状況に対し、朝鮮語学会のメンバーは「マルモイ作戦」(「ことばあつめ作戦」の意)と称して、総督府の監視を掻い潜り、朝鮮語の辞書編纂作業に着手していく。

誇張された部分や時代考証がおかしい部分がいくつかある点、何より実際にあった事件を再構成して作られている点を加味すると、映画の内容をそのまま鵜呑みにするのは禁物だ。

とはいえ当時の朝鮮の空気感、彼の国において韓国語がどのように大衆から認識されているか、そしてなぜ李議員らは非難されたかを掴むには最適の作品だ。作品自体も非常に面白いので見る価値は十分にある。もしお時間があれば、ぜひ足を運んで観覧してほしい。

ちなみに『マルモイ』は、東京ではシネマート新宿、名古屋では名古屋シネマテーク、大阪ではシネマート心斎橋で上映中とのこと。こんなこと言いたかないですが、映画館に行かれる際は、ちゃんとマスク着用&アルコール消毒をして、社会的距離(physical distance)を取りながら見に行きましょう。

ああ、あと映画館は、少なくとも密閉空間に相当しないらしいですね。もちろん室内なので、前述した対策はしないといけないですけど。


こうした情報を流すことで、巷に跋扈する所謂「自粛"警察"」*****の「非合法行為」を「牽制して」おく。


<脚注>                             

*李議員の「ケンセイ」発言がここまで注目された理由には、彼女が過去に様々な物議を醸したことも一端にある。詳しくは以下のリンクを参照。全文韓国語なので、見たい方はgoogle chromeの翻訳機能などを使って見てほしい。https://namu.wiki/w/%EC%9D%B4%EC%9D%80%EC%9E%AC(%EC%A0%95%EC%B9%98%EC%9D%B8)/%EB%85%BC%EB%9E%80

**詳細は李善英と李炯喆の論文を参照。

***鈴木福と芦田愛菜が踊ってたアレでも、「マリモ」でもない。韓国語で「マル(말)」は「ことば」、「モイ(모이)」は「集めること」を意味する。なので「ことばあつめ」という副題がついているのだ。

****なお「朝鮮語学会」は日本の敗戦後、「ハングル学会」に改組して現在まで活動を続けている。

*****本物の警察に申し訳ないので、彼らの主張や行動様式を考慮して「自粛黒シャツ隊/突撃隊/紅衛兵」に変更すべきだと個人的に思っている。当然、一顧だに値しない単なる「お気持ち」である。


<参考資料>

・국회사무처[国会事務処] 제356회국회(임시회) 교육문화체육관광위원회회의록 제1호 [第356回国会(臨時会) 教育文化体育観光委員会会議録 第1号]

・국회사무처[国会事務処] 제364회국회(정기회) 예산결산특별위원회회의록 제5호 [第364回国会(定期会) 予算決算特別委員会会議録 第5号]

・李善英「植民地朝鮮における言語政策とナショナリズム : 朝鮮総督府の朝鮮教育令と朝鮮語学会事件を中心に」、『立命館国際研究』 25(2), pp.495~519。

・李炯喆「植民地支配下の朝鮮語」、『長崎県立大学国際社会学部研究紀要』、第1号、pp.7~19。

・成川彩「映画『マルモイ』が描く 禁じられた朝鮮語の辞書作り」、2020年1月25日付『GLOBE』、(最終閲覧日:2020年8月2日) https://globe.asahi.com/article/13049300


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?