カラオケスナックで育った子供
“歌系の趣味”をなぜ続けているのか、と問われて、「生き方を考えるために続ける」と、答えたことをきっかけに(この記事で紹介)、“歌系の趣味”にまつわるエピソードから自分観察してみようというテーマの9回目です。
沿革にもどりまして(前回、沿革からはずれました)、今回は、小学生の頃の音楽、歌との接点、エピソードから、今の生き方に影響を与えているな、というお話。小学生の頃に戻るのに、カラオケスナック??
小学校3年から中学時代の貴重な体験?
私が3年生の冬から、中学卒業までの6年少々、両親は、いわゆる「カラオケスナック」をやっていました。店舗併用住宅で、1階がお店、2階が住居、という状態です。
昭和の話をすると、もはや3世代前(元号的に)です。私からみると、明治の話をしているのと同じかもしれませんので、そういうカラオケスナックの実情をまじえながら。
歌はまず、詩
たとえば、もしかすると、平成生まれ以降の方には、「カラオケボックス」というものがなかった、というのは、信じてもらえないかもしれません。カラオケはおそらく、スナックと呼ばれるお店で、通信ではなく、8トラのテープ(これも、若い世代にはわからないと思います)で、モニタではなく歌詞本を見て歌う。そういうものでした。
どういう訳か、あまり歌番組というのは興味をもたなかったのですが、「流行歌」は、友達と話をするためには、ある程度知っていた方が便利。と言うわけで、お店がお休みのときには、歌詞本を眺めて、どんな歌がはやっているのかチェックしたりしていました。カラオケをかけてみればいいじゃない、と思うかもしれません。ここもまた、昭和ならでは? で、お店の人やお店の人の家族が演奏を流すのにも、1曲100円。通信カラオケではなかったですから、コインをいれて機械が動く仕組みなので、これはやむをえません。そんなわけで、歌詞本をながめるけれど、カラオケを聞き流すということはほとんどしない、というのが、小学生のおこずかいでは現実です。
これが、歌を理解するときに、「はじめに歌詞ありき」の癖がついた理由だと今は思っています。
流行歌の覚え方として、街をあるけば、BGMで嫌でも耳に入ってくる。それを聞いてなんとなくサビのメロディを覚える。そんな入り方が、当時も今も多いのではないかと思いますが、こんな特殊な環境があったために、私は先に歌詞が頭に入ることが少なくありません。そして、“読み覚えのある歌詞”が町を歩いていてきこえてくると、「あ、こういうメロディだったんだ」と気付いて、覚えていくのです。
誰が歌っているかより、詩や音楽そのものに注目する
カラオケを聴いたり、歌詞本を読んで流行歌を覚えた、というのは、もうひとつ、特徴的な歌への接し方を生み出したとにつながったのではないか、と思っています。
それは、歌っている人、歌手はまったく気にならない、ということです。
2階の自宅で、1階のお店からきこえてくるカラオケ。それは、当然、1階のお店のお客さまが歌っているものです。だから、「オリジナル」をしらないのがほとんど、という状態でした。そして、お客さまが間違えて覚えていたり、“個性豊かにアレンジ”していると、それでまずは覚えてしまいます。
オリジナルの歌手の歌い方が一番いいな、と思うことは、比較的多いと思うのですが、それは、さすがにプロが歌っているからかもしれません。でも、最初に聴いて、それになれているから、というのも大きな要素だと思います。そうだとすると、お客さまが歌っているのを聴いて覚える私にとっては、オリジナルの歌手の歌、歌い方が一番いい、とはならないことになります。
また、人気の曲ならば、複数のお客さまが歌います。そうすると、歌の表現よりも、詩と音楽だけがその楽曲の「くくり」になるのです。
この時期のそんな歌や音楽と接し方は、こんなことを生み出した気がします。
歌や音楽は、作る人(作詞・作曲・編曲家等)と、演出する人(舞台装置、音楽監督など)、そして、表現(演奏者、歌手、演出家等)する人の総合芸術といえるかもしれません。でも、作る人以外は、その作品が発表される時、場、人によって、その都度作られるものです。だから、それが表面的で、作ることが本質だ、とはまでは言うつもりはありません。やや作るフェーズに重きをおく傾向が生まれたのはたしかです。
そんなことの積み重ねで、オリジナルの歌手はほとんど気にすることなく、感覚と感性で、詩そのもの、音楽そのもので、好き嫌いがはっきりするようになっていったのだと思います。
マネが嫌いという副産物
ちなみに、そこから派生した傾向として、「マネする人は嫌だな」ということがあります。いや、ものまね大会ならばいいのですが、自由に歌っているはずの場面で、オリジナルの歌い方をマネしているのは、なにか悲しくなってくる。もっと自由に自分を発揮すればいいのに、と。
言うまでもなく、この時代(私の小学校4年生くらいからあと)にブレークした、誰もがマネした特徴的な歌い方のグループのヴォーカルといえば、あの方が想起されますが、あの方の歌も、マネしないで、あなたらしく歌ってくれればいいのに、といつも(今でも)思うのです。
その逆に、上記のとおり、詩と音楽ありきという気持ちも強いことから、なんでも自分の形にはめる歌い方をするのも好きになれません。作詞家や作曲家は、そういう風に表現してほしいと思ってこの作品を作ったのか。自分の形にはめて自分らしい表現をするのは歓迎なのだけど、作詞・作曲家などの方への理解と敬意はなくさないでほしいな、とも思うのです。作詞家や作曲家の思いを無視しないと、自己表現できないなんて、所詮、その程度の表現力しかないんだよ、なんて思ったり。
そんな感覚は、このころカラオケスナックの歌を聴いて、オリジナルをしらないのが普通だった、という環境の影響があると思うのです。
生き方とは直接関係ないが、もうひとつ‥世代のズレ
生き方に直接影響は与えていないと思いますが、いや、間接的には大きな影響があるかな。
私が10代前半のころ、当時の1階のお店の客層は、20代前半と、思いっきり高齢の方が多い印象です。そして、その人たちが歌うカラオケです。ですから、私と同世代の人と、子どもの頃のはやり歌の話をすると、どうもずれるのです。
ただ、日本歌謡史の中では、大きな転換点をそのギャップは跨いでいます。ということも、それを通じて気持ちが通じる世代の違いとか、時代を反映した詩の内容とか。そんな形で、影響を受けているかもしれません。
それらがどう生き方に影響したか
以上は、歌番組や、街で聞こえるBGM よりも、カラオケスナックで、お客さまの歌を聴いたり、歌詞本を読んだりしていた、ということが、どう歌や音楽の好みとか考え方に影響を与えたか、ということです。
それが、生き方にまでつながっていると思うのは、こんなところから。
詩がありきは、感覚と言語化のバランス感覚につながる
これは自分観察の結果、自分について気づくことに、言語で理解しないとなにも進めない、ことがあります。いや、詩ありきの癖から、そういう思考傾向を獲得した、とはいいません。もともとそういう傾向をもっていたのが、一層鮮明になった、というのが妥当な観察(理解)でしょうか。
高校や大学で学んだことは、言語化の中でも、論理性を重視するそれでした。それに対して、歌詞というのは、音楽を伴わない文字の文学だとすると、ますます、読者、聴衆に、行間を求めることに委ねる部分が大きいと思います。
そういう点では、バランスを著しく欠かない(と、思ってます)で今まできた効能もあるのかな、と思います。
歌手よりも、詩、音楽そのもの~本質重視の偏りを産んだ?
これは、ものの観察や理解をする過程で、かなり影響を受けていると感じます。
現場、現地でのその場の対応よりも、基礎的、構造的な対応にいつまでも偏っている弊害としてもあらわれています。緊急事態が発生したときは、構造的な欠陥を考えるよりも、当座どうやってこれをしのぐのか、を考えるべきだと思うのですが、最後の最後、いよいよ尻に火がつくまで、構造的な問題を検討する傾向があります。
そういう、一歩引いたものの見方は、重宝されることもあります。特にコロナ禍で、先行きが不安定な中では、そのような、結果や現在をみる目線よりも、「そのもの」に着目する癖はよいのかもしれません。
どう活かせるのか、あるいは、どう活かせないのかはわかりませんが、そんなものの見方を育むのには、影響を与えたエピソードだと思います。
世代のズレは多世代との交流をはぐくんでくれた
一番生き方に与えた影響がなさそうなこれ。影響は小さいかもしれませんが、一番わかりやすい影響を与えてくれています。それが、交流をはぐくんでくれたということ。
まとめ
いずれも、この、小学生のころの6年の体験があったからこうなった、ではなく、もともとあわせていた素養が、発揮されるきっかけになったということだと思います。カラオケスナックで育ったこどもならではの経験と体験は、そんな影響があるというのは、否定はできないかな、と思いませんか?
現在の自分を解析すると、言語化が得意ということではないが、それに依存する傾向がある。それがいきすぎないための感覚とのバランス。
今どう対処するか、よりも、もっと根本をみようよ、という視点。
そんなことにつながっているこの時期のエピソードだと思います。
おことわり
画像は「居酒屋」「カラオケ」など、複数で検索したら出てきた、みんなのギャラリーのものです。両親がやっていたお店は、もう少し洋酒に偏っていましたが、こんな雰囲気かな、と思って、使わせていただきました。
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