新聞の読者投稿欄

新聞が読めるお店はコロナ禍を経て減ってしまった。接触するから感染。もっとも、提供するお店としては、できればやめたい。でもやめられない、だったのだろう。だから、コロナを口実にやめたあとは、復活はしない。そんなところだろうか。

そんな中、新聞を結構自由に読めるお店で。

私は時間がないときは、読者投稿欄から読む習慣がある

一番世相を反映しているし、素人の投稿だから反論もイメージしやすい。だから、自分の考えを形成するのにも役立つ。

そんな理由から読者投稿欄から読むことがクセになった。

朝日新聞の読者投稿欄は「声」。

今日は、読者投稿5本と社説2つが掲載されていた。

5本は、福島の海洋放出が時事的な投稿だが、他は、ごくごく身近な生活からの投稿。この身近な投稿4つに、実に響くものがあった。

家事手伝いという言葉から、多様性社会を考察する投稿。最近、多様性という言葉がルール化されて窮屈になっている気がしていたが、それに、一石投じてくれる投稿だった。民主主義を否定する意見も民主主義は受け入れるのか。そんなテーマは古典的なそれだけれども、多様性を否定する意見も多様性の一つなのか。多様性を活性化するためにルール化するのは、ルールによって多様さを制限していないか。そんなところに投げ掛ける投稿だった気がする。

戦争を70年以上していないのは奇跡だ。だから、私が人並みに生きた場合、生きているウチに日本が戦争をはじめるのか、まきこまれるのかはわからないけれど、それは覚悟しないと。私はそんな投稿をfacebook初期の頃(って、もう10年以上前だ)からときどきあげているけれど、「戦争を知らない 唯一の誇りだ」という投稿は、それを諦めずに、このまま戦争を知らない時代が続くことを願う気持ちが強く感じられた。73才の方の投稿だから、戦後5年。戦後23年で生まれた私よりも、この気持ちは当然強いのだろうな、と思う。

傘寿過ぎて麻雀という投稿と、祖母の生け花の投稿は、ほのぼのと。

だけど、どちらも何気ない世代間交流が描かれ、そこに何気ない中で文化の継承があるんだな、と感じさせてくれる。たしかに、リアルな世代間交流は面倒かもしれないけれど、面倒だからそれをしない。コスパだかタイパだかばかり考えているアホどもに聞かせてやりたい話だな。表面的な今のパフォーマンスだけ考えて大切なものを失っていることに気付かないのか、と。

先日聞いた、朝日新聞ポッドキャストによると、声欄は、朝日らしさを出さないように選出しているそうだ。これは多分、他の新聞も同じだと思う。

あらためて、(そうだとすれば)読者投稿欄の面白さを感じたひとときだったかもしれない。


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