お湯のありがたみ、そして水を考える

今、住んでいるアパートのシャワーが壊れお湯が出ません(笑)

仕方なしに、今日はポットでお湯を沸かし、それをシャワー室でお水と混ぜながら体を洗いました。

やはりいつも当たり前のようにあるものはそれが無くなった時にやっとそのありがたみに気づくような気がします。

お湯の量は限られているので、上手いこと頭と顔、体は多め、などと考えながら使いました。
そんな風に使っているうちに、普段は何も気にせず必要以上にお湯を流していたのかもしれないと感じました。

また、高校時代の家庭科の授業で私たちが普段使うお風呂や食器洗いのお水をどれだけ無駄遣いしているのか、という授業があったことを思い出しました。

この地球上には、飲み水でさえ綺麗なものが手に入らない人たちがいます。

僕は今日この日を教訓に、日々水について考えていきたいなと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?