2020.3.3

DEAN&DELUCAの紙袋を提げて、坂の上の家へ出向かう。今日は1月まで教えていた家庭教師先のお家へ招かれていた。入試関係のものが一掃されて、「〇〇中学絶対合格!」の貼り紙も剥がされたあとの家は様変わりしていたが、もう他人の家のような気がしない不思議な落ち着きがあった。

吟味して選んだアイシングクッキーに喜ぶ女の子。お母さんがたくさんのケーキをお菓子、おいしいお茶を次々と運んで来てくれる。私は世間話をしながら(ほとんどうんうんと頷いて聞いていたけれど)漫画を読んだり、「鬼滅の刃」のイラストを描いたり、女の子と話して過ごしていたら、気づいたら日が暮れていた。

予約が取れない店がたまたま空いていたので、ひなまつりでもあるし、せっかくだし、と、夜ご飯も共にさせていただく。ここ数ヶ月で食べた物の中では一番じゃないか、ってくらいおいしいものをご馳走になり、たくさん笑って、帰路に着いたのは23時過ぎだった。

「試験問題を開いたら、1問目から、先生に教えてもらった問題が出て、そしたら全部先生に教えてもらったところだったの」目をきらきらさせて話す女の子。少し変わった漢字の名前なので、漢字の意味を調べたら「天からの授かり物」という意味だった。この家族にこの子がいて、私が交わらせてもらうことの奇跡と運命みたいなものを思う。

私がちょうど12歳のとき、15歳くらい上の、我が家に出入りしていた(伯母と母が自営していた商売の)従業員さんがいて、私はずっと彼女に目をかけてもらっていた。家族みたいに思っていたが、去年、いろいろと悪いタイミングが重なり、疎遠になってしまった。今でも連絡はとっているけれど、我が家が自営をほとんど辞めてしまったのもあって、会うことはほとんどなくなってしまった。私は、自分を小さいときから見てくれていた人をいっぺんに失った気持ちになって、去年は喪失感でいっぱいだった。

そして今年、私は20代後半になって、12歳の女の子の家に出入りさせてもらうようになった。一人っ子で、とてもとても大切に育てられている女の子。どんなときもペンを離さず、高級料亭のお膳敷紙にも絵を描く姿がかつての自分そっくりで、ご馳走になっているあいだじゅう、かつての自分を見守ってくれた大人たちのことを考えて、胸がいっぱいになって泣きそうになっていた。こんなことがあるのかと思う。人生、ごくたまにこういうことが起こってしまう。

私が見てきたすべてのこと
むだじゃないよって君に言ってほしい
人は誰かとかかわるハローグッバイ
ちから漲るよわなわなと

YUKI/ハローグッバイ

ここにたどり着くために今までがあったんだ、と思える瞬間がたまにあって、そういうものを噛みしめながら、また一歩一歩がんばってくしかない。こういう瞬間があるんだよ、っていうのが、必ず未来の自分を励ますものになるということ、私は知っている。

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