モーツァルトは愛と死の夢を見たか?(ミュージカル『モーツァルト!』感想対談)
年下イケメン彼氏に先立たれたジュニア担とその友人が、ミュージカル『モーツァルト!』の感想を語り合います。
彼女ちゃん:筆者。彼氏に死なれた。ジュニア担。
聞き手:友人。彼氏の葬式連番者。ジュニア担。
■『モーツァルト!』に真剣に共感する彼女ちゃん
――この対談の経緯からお話ししましょうか。京本担でもある彼女ちゃんは8月に京本さんの初日を観劇して、そこからしばらく観てなかったんだよね。私があとから(9月中旬ごろ)古川さん回を観て、あまりに素晴らしかったので京本さん回もおかわりしたくなってしまって、ふたりで同じ回を観に行ってきました。
彼女ちゃん そうだね。初日は京本さんの帝劇初主演ということもあってそれどころじゃなかったんだけど、その後彼氏の実家にお邪魔したりして彼氏やその家族の解像度が上がった状態で観てみたら、『モーツァルト!』(以下『M!』)って私と彼氏の物語だったのでは!? って思った。
――たしかに私もふたりのエピソードを重ねて観てしまうところが多々あったよ。
彼女ちゃん そういう感想を持ってくれたのが自分だけじゃなかったってことが嬉しい! たぶん、彼氏のご家族とゆっくりお話しして彼の人生を知ったからこそ、モーツアルトが生まれてから死ぬまでを描いたこの作品の見方も深まったんじゃないかな。『M!』って世間一般的には共感しづらいストーリーだと思うんだけど、なんか似てるなって感じる部分がちょくちょくあって、「自分たちの話かも」って思ったんだよね。
――なるほど。具体的に「自分たちの話だ」って感じたシーンとかってあるの?
彼女ちゃん いきなり難しい質問きた。逆に友人ちゃんはどういう部分に私たちの要素を感じてくれたの?
――色々あるけど、彼女ちゃんはイケメン彼氏と出会うまでは、恋愛や結婚に対してドライな考え方を持ってる人だったでしょ。それは彼女ちゃんの本質だから今も残ってると思うんだけど。で、彼の方もなんていうか、彼女ちゃんと出会うまで結婚とかを自分ごととして考えたことがないタイプだったんじゃない?そういう二人が沢山の偶然によって巡り会って、恋をして、すごく自然に結婚とか、家族になろうと発想していった過程が、ヴォルフガングとコンスタンツェにめちゃくちゃ重なったんだと思う。
彼女ちゃん そうか……確かに、詳しく言及はできないんだけど、家庭環境とかも作中の二人と結構共通点があるっぽいんだよね。だから私はコンスタンツェの家族からの抑圧みたいなものがわかるし、彼氏も性格的にヴォルフガングっぽいところがあると思った。
■愛は/死は救いではない?
――そうそう。友人視点で印象的だったのは「愛していればわかりあえる」の〈約束しよう なにがあろうと 誇り高く生きる〉って歌詞かな。めちゃくちゃ失礼だけど、彼女ちゃんって本来そんなに意識高い系じゃないよね。
彼女ちゃん うん(笑)。
――でも、この間「彼氏は救えなかったけど、今度こそ誰かを救いたい!」って言って私を誘って有楽町の献血ルーム行ったじゃん。
彼女ちゃん 行ったわ(笑)。献血って行ったことなかったんだけど結構楽しかったし、それで誰かのためになるならいいなーって思ったよ。二人とも体重足りなくて献血自体はできなくて、骨髄ドナー登録だけやって帰った。
――良い経験だったよね。で、そういうこれまでの彼女ちゃんからはちょっと距離のある、意識高い行動を取らせているのってやっぱり彼氏への愛なんじゃないかなと思って。人は真実の愛を手に入れると、それに見合う自分でいたくて「誇り高く生きる」ようになるのかなって思った。でも、ヴォルフガングは愛によって救われてないような気がして気の毒なんだけど。
彼女ちゃん え!? そうかな、解釈の違いかも。そもそも救いをどう定義するかにもよるよね。私としては、人間にとって一番の不幸は、自分が不幸な状態に置かれていることに気が付いていないことだと思うのね。シカネーダーも「無知蒙昧こそ人類最大の悲劇なり」って言ってるし。そういう意味で、ヴォルフガングは自分の不幸に気付いていたし、自分がどうしたいかという自我を獲得して、自分の意志で行動して破滅していくわけじゃん。それってある意味では幸福な人生とも考えられるんじゃないかな。でも何が幸せで、何が不幸せかって人によって全然答えが違うだろうから、すごく解釈が分かれるんだと思う。
――そうなんだ。じゃあラストの「影を逃れて」はどういう気持ちで見てるの?
彼女ちゃん いや、そこも難しいよね。まずその回ごとのお芝居でかなり印象変わるし。でも共通して私が感じているのは、ヴォルフガングにとっての死は、『エリザベート』のシシィほど「逃げ場ではない」ってことかも。ヴォルフガングにとって死が救いだったとは思えないっていうか、人生が終わってしまうことの悲しみと、辛いことから逃げきれたっていう解放の両方がないまぜになっている結末だよね。どうだったんだろうな~。でもやっぱり、「君のためだけ生きる」って覚悟決めてコンスタンツェと一緒になったわけだし、ヴォルフガングってそういう決断ができるだけの強さは持っている人だと思うんだよね。ただ、歯車が全部うまく噛み合わなくて、お父さんの死であったり、コンスタンツェとの別れによってああいう結果になってしまったんじゃないのかなと思った。
■白い羽根ペン、赤い羽根ペン
――この話めっちゃしたかったんだけど、『M!』でモーツァルト(アマデ・ヴォルフガング)の作曲に使われる羽根ペンって2種類あるじゃん。赤と白。基本アマデが白を持ってて、ヴォルフガングは赤いのを使ってることが多いかな。で、ウェーバー一家がヴォルフガングとコンスタンツェが逢っているところに「ここが愛の巣?」って入ってきて結婚契約書にサインを迫るシーン、あそこでヴォルフガングは赤いペンでサインしてるんだけど、それがすごい示唆的じゃない? 才能の象徴みたいなそのペンで、そんな書類にサインしちゃっていいんかよ!っていう。
彼女ちゃん たしかに。
――モーツァルトって作中ずっと、自由な魂そのものとして描かれている節があるじゃない。だから大司教さまに従わないし、ナンネールにお金送るの忘れて遊びに行っちゃったり。でも、結婚しろ!って迫られて一度は無理って断った後、やっぱりサインしますっていうあのシーンだけヴォルフガングの行動原理がすごく異質だと思った。
彼女ちゃん コンスタンツェと一緒にいるっていう「自由」を得るために、結婚契約書っていう自分を縛る「不自由」を選んだってことなのかな。
――そう! まさにそれが言いたかった。で、それを神様から与えられた才能で曲を書くための赤いペンでサインしちゃうっていうのが意味深だよね。
彼女ちゃん 私、あの赤いペンは愛の象徴なんじゃないかって思ってて。コンスタンツェとの愛が生まれた後に登場するし、それを使って一番最初に書くのがスコアじゃなくて結婚契約書だし。自分たちに重ねてしまうけど、今までの主義主張を曲げてでもなりたい理想があれば、人はなんだって出来るんだってすごく思ったんだよね。それは私自身もそうだし、彼氏もそういうふうに努力してくれていたんだなって思う。ヴォルフガングも、自分の今までの生き方を曲げてでも一緒にいたいくらい、コンスタンツェのことが大切だったんだろうね。だからこそ、二人の関係が途中でうまくいかなくなってしまったのは哀しすぎる。
――そうだよね。しかも、契約書にサインした後なぜかコンスタンツェは両親に連れ去られちゃうじゃん。ヴォルフガングはちゃんとサインしたんだから一緒に居させてやれよ!って思うんだけど、そのあとコンスタンツェが戻ってきて「紙に書いた誓いなんていらない!」って破り捨てるの、めちゃくちゃ優しくて彼氏思いのいい女だなって思う! あの出来事があったからお互いのことを強く信じあっている感じがするし、ヴォルフガングも最終的には「遅くなってごめん」って言ってちゃんと帰ってくるんだよ。
彼女ちゃん たしかに、コンスタンツェっていい女だよね。私、フィガロの結婚のシーンで好きなのが、帰ってきたヴォルフガングにコンスタンツェが「乾杯? それともキス?」って訊くじゃん。いや、変な台詞ではあるんだけど。でも乾杯とキスって全然意味合いが違うよね、乾杯はモーツァルトの成功へのお祝いだけど、キスは二人の愛に対してのものだから。そこでヴォルフガングがキスを選ぶっていうのが素敵だなって思うんだよね。
――「ダンスは一人じゃ踊れない 愛と同じね」って歌詞もあるしね。
彼女ちゃん うん、そりゃあ恋愛のシーンだからって言われたらそれまでなんだけど、私はそう解釈するのが好き。やっぱり要所要所でヴォルフガングからコンスタンツェへの愛をすごく感じるんだよね。コンスタンツェ自身も「インスピレーション 与えなくては」って葛藤があって、毎晩ダンスパーティーに行ったりするわけだけど。お互い不器用ながらも一方通行ではない愛がちゃんとそこにあったからこそうまくいっていたのに、別荘で浮気の疑惑がかかるシーンでコンスタンツェが「あなたが愛しているのは自分の才能だけ」って言い放って、見限ってしまってからヴォルフガングの人生は本格的に転落して、曲も書けなくなって死んでしまう。やっぱりヴォルフガングは愛を失ったから死んだんだって思った。
■世界で一番コンスタンツェに肩入れしている女
――そう考えるとコンスタンツェって全然悪妻じゃないよね。めっちゃ健気。
彼女ちゃん そうなんだよ、もともとはか弱いところもある普通の女の子なんだよね。ヴォルフガングの家に逃げてきたときも〈涙がこぼれる 弱い自分が嫌で〉って歌ってるし。天才の妻になったことで苦労してああなっちゃうんだから、ヴォルフガングの罪は重いよ。
――感動したのがさ、ヴォルフガングとコンスタンツェが公園で再会して、キスするか?するのか?しないんかい!ってなるシーンあるじゃん。やっぱ突然のことで、コンスタンツェも心の準備ができてなくて拒否しちゃったのかなと思ったら、すぐに「さっきの伯爵を追い払ったところ、かっこよかったよ!」って言ってあげるんだよね。あまりにもモテ女ムーブが鮮やかすぎる。あんなの絶対好きになっちゃうだろ。え、伝わってます?
彼女ちゃん いやわかるよ、なんか押して引いてのタイミングが上手いよね。
――あとコンスタンツェで言うと、「ダンスはやめられない」で〈もし彼が神に召され天国へ行っても 泣いたりなんかしないわ 私流に弔うの〉ってあるじゃん。あの部分って歴代の日本のコンスタンツェみんな強弱のボリュームを落として歌ってるんだけど、今回の真彩希帆ちゃんの歌い方は新解釈だったな。あまりボリュームを落とさずに歌うんだよね。だから〈もし彼が神に召され~〉のifの部分よりも、〈泣いたりなんかしないわ~〉っていう今この瞬間のコンスタンツェの決意が強調されてる感じがした。
彼女ちゃん そうだね、実際好きな人が死んだら、泣かないわけないじゃん。経験者の私が言うので間違いないです。でもその時になってみないとわかんないっていうのが逆にリアリズムだよね。それに、泣いたとしてもきっとコンスタンツェはやるべきことをやれる女だから、きっと大丈夫です。もう私は『M!』をコンスタンツェの成長物語だと思ってる。
■一人の男を弔うためのミュージカル
――話を本筋に戻しましょうか。私は京本ヴォルフを観てやっぱり『M!』っていうのは、自分の影から逃れられないモーツァルトがそれでも別の運命、生き方を求めてもがく話だなって思ったんだよね。モーツァルトの本質って、才能じゃなくて「抗い続ける魂」なんじゃない? だから最後のシーンは、自己紹介ソングを聴いてるみたいな気持ちになる。だってもうあの時って死んでるじゃないですか。で、その最期に対して関わった人たちが全員集まって、ハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、「こういう人だったよね」って歌ってるんだと思ってた。
彼女ちゃん だからまあ、葬式ですよね。ほんとに。物語って人間の生を描くものと死を描くもの、それぞれあるけど『M!』って完全に後者だから。死に向かって進んでいく物語だから。モーツァルトという一人の男を弔うための長い長いレクイエムみたいなところがある。
――死に向かって進んでいくミュージカルといえば、同じくクンツェ&リーヴァイのコンビによる『エリザベート』もそうだし、『ルドルフ 〜ザ・ラスト・キス〜』もそうじゃない? 作家性だね。で、私はヴォルフガングが失った箱の中身って「祝福」だったんじゃないかと思ってる。
彼女ちゃん そうなんだ、何でそう思ったの?
――”考察厨”として作中でヴォルフガングが失ってしまったもののことを、お父さんは「幸せだ」って言ってるし、仮面舞踏会のシーンでも〈目は見えなくて、言葉で言えない、壊れやすくて、うつろいやすいもの。愛情ではなく、才能でもない、成功でもない何か〉って歌われちゃってるから、それらじゃない答えを見つけたいんだよね。
彼女ちゃん 本当に謎解きゲームをやってる。
――難しいよ(笑)。で、考えてみたんだけど、ヴォルフガングってあんなに破天荒なのに「神様の次に大切なのはパパだ」っていうのが口癖なんだよ。もちろんパパへの愛を語った台詞なんだけど、私はヴォルフガングが貴族には反発しながら、神様に対してはとても従順な姿勢がよく出ている表現だなと思って、印象に残ったんだよね。やっぱりこの作品のなかでモーツァルトは神の子として描かれている。天才を天才たらしめるのは、まず神の祝福があったからなんじゃない? それがあったからモーツァルトの才能は花開くけど、思いあがって祝福を失ったらそれらすべてが消えてしまったわけだよね。
彼女ちゃん なるほど。
――神様に祝福されていたから、これまで「楽勝なんだ」ってすらすら傑作が書けていた。でもその祝福を失ったとき、天才は最後に自分の命を使い果たして、自分のためのレクイエムを書いて死ぬっていうのが……なんつーか本当に凄まじい話ですよ。
彼女ちゃん そっか、神様の祝福にあぐらをかいて、自分の才能や周りの人を大事に扱わなかったから、愛想をつかされたのかな。
――そうかもね。ヴォルフガングが死んだ後、ナンネールが箱の中身を覗いて、「宇宙の深淵を見ちゃった」って感じの物凄い表情になるんだけど、それも神の領域を垣間見てしまったってことなのかなって解釈してる。あの時ナンネールは初めて本当の意味で弟の苦難を知ったんじゃないかしら。
彼女ちゃん 私、実はあのシーンに合点がいってないんだよね。なんで第一発見者がコンスタンツェじゃないの! でも、必ずしもすべて思い通りにいかないのが人生だなとも思う。
――めっちゃ不謹慎なこと言うけど、向こうの親とも会ったことなかった彼女ちゃんと違ってコンスタンツェは結婚してたから、少なくとも絶対葬式には出られるんだよね。
彼女ちゃん そうじゃん! 私はまず葬式に呼んでもらえるかどうかもわからなかったので……。コンスタンツェは妻だし、喪主とかやったのかな。大変だよね。
■モーツァルトは真実の愛を手に入れたのか
彼女ちゃん フィガロの結婚のあと、モーツァルトが悪夢から醒めて「ちょっと外で風に当たってくる」って言うシーンあるじゃん。あれにめっちゃ共感するんだよね。
――なぜ!?
彼女ちゃん いや、コンスタンツェが必死に止めるじゃん、行かないでって。彼氏もたまに夜中ふらっと出ていくことがあったのを思い出すんだよね。深夜3時とかに友達が飲んでるとこに呼び出されて、朝まで帰ってこない事とかあって。
――彼氏がモーツァルトだろうがイケメンだろうがめちゃくちゃ嫌だね。
彼女ちゃん 嫌だったよ、嫌だったけど。でもそういうバカな男にハマってしまうコンスタンツェに共感しちゃうんだよね。弱い男に相対すると「この人は私がいないと駄目だ」っていう自尊心が満たされる感じがする。まあ需要と供給が釣り合ってれば別にいいんじゃない?って思ってますけど。
――なるほどね。確かに、京本ヴォルフを見ていると母性本能ってこういうこと?って感じるし。コンスタンツェにとってはモーツァルトの〈他の人と全然違うの〉〈お金よりも大事なものをもってる 純粋で〉っていうところが、彼女が生きてきた日常とちがう、キラキラした非日常のときめきを与えてくれたから好きになったのかなって思った。子どもみたいなアホな男の魅力ってそこなのかもね。
彼女ちゃん そうだね。私たちも短いお付き合いの中でいろんなことがあったから、ちょっと夢みたいな感覚すらあるし。もしもの話だけど、長く付き合ってお互いの嫌なところが見えてたら、絶対こういう気持ちには今なってないと思う。そういう意味ではよかったんだと思うしかないかな~。
彼女ちゃん いま歌詞を見てるんだけど、〈思い上がったお前には無理だ〉ってすごい歌詞じゃない? 思いあがった人間に真実の愛が訪れることはないんだよね、きっと。でも真実の愛を一生見つけられずに普通に生きて、普通に死んでいく人もいるわけじゃん。だったら一瞬でも真実の愛を見つけたモーツァルトは幸せだったのかな。でも一度見つけた真実の愛を失ったのは不幸かもしれないし。
――それは各々の感じ方だよね。ハッピーエンドとかバッドエンドとか、もはやそういう領域じゃない気がする。もしかしたらモーツァルトが天才だったのは、真実の愛を見つけて、なおかつそれを失うっていう両極端を経験したからかもね。
彼女ちゃん 幸せか、幸せじゃないかは他人が決めることじゃないってことだね。だからこそ自分が幸せだと思える「何か」を見つけたいよね。
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