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『ぼくの死体をよろしくたのむ』

2023/3/8
川上弘美,2022,新潮社.

天気が良かったので徘徊老人みたいにキャンパスまで歩いてきた。本が読みたくて、書籍部に入って、「ずっと雨が降っていたような気がしたけれど」を立ち読みした。死体は読み返したければ実家に単行本があるのでそれを読めばいいのだけど、私、これ、いま、必要だわと思ってその場で文庫を買った。適当に目についた4つの短編を再読した。

「ずっと雨が降っていたような気がしたけれど」
喪失に備えてスペアを用意する。恋は下心、愛は真心なんて言うけど、下心と真心の線引きなんて曖昧で、恋と愛のほんとの違いは時間じゃないかと思う。愛は、時間によってそう簡単に減じられるものじゃなさそう。恋は、はなから喪失と抱き合わせである気がする。恋しく思うって、すでにちょっと喪失を内包してるでしょ。みんなすぐどっかいっちゃうんだ。どっかいかないでほしいのに。でもそれは仕方のないことだから、スペアを用意するんじゃなくて、私はいま私の側にいるかけがえのないひとたちと、できるだけ永く誠実に関係していく。

「二人でお茶を」
私はお茶がすき。ホテルとかお家でお茶を淹れて、ひととお喋りする時間がすき。トーコさんとミワちゃんの関係は素敵。先日引っ越したばかりの私は、広くなった部屋を少し持て余している。この部屋何年住むかなあって母に言ったら、「結婚したら誰かと住むかもな」って返しが来て、笑っておいた。二人暮らしは絶対楽しいと思うから、してみたい。

「バタフライ・エフェクト」
予言者みたいな語り手の視点に『森へ行きましょう』を思い出した。一瞬のかけちがいで運命なんて多岐に渡るから、どんなに考えて選択したって、コントロールしきれない。どうにでもなれ。

「ぼくの死体をよろしくたのむ」
こんな話だったんだ。表題作なのに、ぜんぜん覚えてなかった。一年前の私が完全にこれをスルーしていたことが衝撃だった。

***

メモに残っている文章があるけれど、文脈がわからない。これらの言葉はどこから出てきて、どうしてここに収められてるんだろう。ほかにやり場がないので、一応載せておく。

とめどなく注がれた無償の愛を、私はどうしたらいいんやろう。
そんなに愛を、注いで注いで、母、すっからかんになっちゃえへん?

どうしたらいいかはわからないけど、大なり小なり自分を想ってくれるひとたちを蔑ろにしないこと。受けた分の優しさに時間がかかっても応えること。

***

母といえば。死体とともに、幸田文『木』も購入した。幸田文と露伴の関係は、私の母と祖父の関係に似てると思う。と、母本人も思ってるんじゃないかと思う。昔入試問題で読んだ藤の話と、『父・こんなこと』の最後のやまぶきの話がすきだ。

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