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『彼岸花が咲く島』

2022/10/19
李琴峰,2021,文藝春秋.

思い出したのは、千と千尋、ナルト、美しいからだよ、進撃、約ネバなどの作品。キャッチしたのは、職業選択、異性愛、核家族、よそもの、歴史などのテーマ。

幻想込みの小説世界から規範を問い直す手つきは、川上弘美『三度目の恋』とかよりすんなりとおもしろく読めた。というか途中から、こうなんじゃないか?っていう展開予想がひりひりしてきて読むのこわくなってきちゃった。読み途中ですでに、私たちが大人になったら変えていこう、ルールがおかしいんだから、っていう子どもの約束は、所詮子どもの約束でしかなくて、世界はかれらが想像するよりはるかに大きくて複雑なんだろうな、とか思って切なくなった。前半の作りに対して、後半、種明かしパートで語られる醜悪な歴史の密度と、それを知ったあとの揺れ、回収のされ方はやや粗雑に感じたが、方向性としては好み。大ノロのイメージわたしの中でナメック星の長老みたいなんですが共感してくれる人いるかな。

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追記!

問題回収があっさりしすぎって思ったことについて、なにが足りないのかなって考えた

何度か出てくる、女の子が女の子に触れる場面は、エロティックではあるけど、唇を添えるのも手を当てる「手当て」のようで、お母さんが子どもの背中をぽんぽんって叩いてあげるみたいなかんじなのね
核家族の概念や異性愛規範のないこの島にも性愛はあるはずだけど、男が歴史から締め出され抹消されているように、その気配が感じられなくて、それはたぶん語りの位置が女の子二人の側に傾倒してるから、構造上隠蔽されてるのかなと思っている

でも拓慈くんは游那ちゃんと住みたかったんだよねえ…そのへんどうなってんだろ、拓慈がなに考えてるかって結局見えない範囲のほうが多いのよね
男の拓慈にも歴史を共有して三人で住む未来を展望していることを、游那が宇美に話してるシーンで終わるけど、そううまくはいかなそう、うまくいかなそう…って外から見て思えるところまで書いた方がいいんじゃないかな

同居についても歴史についても意思決定の場にいるのは女二人で、拓慈が置いてけぼりになってることに、游那も宇美も気づけてない、すでに二人は歴史を背負うノロになってる
ぱっと見希望が見える終わり方をしているけど、よく考えていくとたぶんそうでもなくて、そうでもないかも…って匂わせるとこまで必要だったんじゃないかなあ

恋愛と性愛についてはわけて考える練習をしてきたけど、もうひとつ似て非なるものとしてスキンシップを考えてもいいかなと思った
思いつきだから雑に定義するとまちがえそうだけど…いまのところ
性愛とスキンシップは身体接触を伴うけど、恋愛とスキンシップはより情緒的なつながりを要素として含み持つかんじがする
境界が曖昧な三者がひとセットとして「恋愛」の括りに入れられてることが一般的には多くて、そのせいで困ったり文脈を読み違えたりすることがありそう

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