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『ブラックボックス』

2022/12/1
砂川文次,2021,講談社.

サムネは関係ないけど中之島美術館。メッカみたいですげぇーからいつか行こうって友だちと言ってる。宇宙服着た猫が意味わからんくらい怖い。

ざざざっと読めた。サクマが自転車で走るスピードで読める。
インテリじゃない語りってもしかして少し珍しいのかも。物語って語らないと進まないから、語る、その前段階として思考する存在じゃないと視点人物になりにくいのかなと思ったりする。『吾輩は猫である』とかはちょっと…置いといて…。(授業で出た、言語化できないものを抱えている人物を小説として描く試みは評価できるという意見に近い。)

サクマから見て社会がブラックボックスなだけでなく、社会から見てサクマがブラックボックスだったり、サクマ本人にとっても自身の衝動がブラックボックスだったりするとの指摘がなされた。
業務に向けて身体が最適化されていくところは『コンビニ人間』に似てる気がした。機械的な作業というところから考えると、動物とかAIと会話ができるかの実験で、中で何が起こっているかは考えない=ブラックボックスとして扱うみたいな考え方なかったっけ。心理の授業けっこう昔で忘れちゃったな。

「ちゃんとする」ことについては、将来の見通しを立てるとか、制度に参加するとか、他者からの視線や期待を引き受けるとか、自己完結から抜け出して一緒に考えるとか、いろんな意味合いが出た。
ラストでサクマの内側での認識が変わったことってどの程度希望的なんだろう。同じことの繰り返しだ、から、繰り返しだけど少しずつ違っているんだ、になったのって、ペットボトルにちょびっとだけ入った水を少ししかないって考えるか少しあるって考えるかみたいな違いじゃない?って思ったりした。
他の人はもっと論理的に分析していて、社会的なものを描いていたはずがサクマの人物造形の中へと入り込んでいくことで問題の追究が止まってしまう、現代社会の問題が個人の実存的な問題に回収されたと批判していた。
サクマが何をどう考えようが、返信出さないと円佳からしたらサクマはブラックボックスのままなんだよな、と思っている。でも最後の一文はジャンプに挟んだままの手紙を、挟んだままではあるが意識はしていると読めると言っていた人がいて、なるほどーと思った。

ずっとは続けられない仕事だから、って書いてあるところ、不安定な非正規雇用の実情も含めて、フリーターとしてコンカフェで働いて生計立ててる友達のことを思った。ずっとは続けられないって分かっていながら今は続けている。(だからってそれが「ちゃんとしてない」わけではもちろんない。)友達が前に「その人たちの結末が知りたい」って言ってた。「結末」っていう言葉が何を指すかは曖昧で、でもこわいからわたしはその表現を避けていたけど、作中で繰り返し出てきた「ゴール」の意味合いと重なると思った。

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