にっかり青江単騎出陣

5月に観劇しました。ミュージカル刀剣乱舞、にっかり青江単騎出陣公演。

にっかりの単騎、
これまでの出陣(つまりこれまでの公演)と本丸での生活を積み重ねてきた一振りのにっかり青江がここにいる、それが舞台のうえでいま見られるということ。
かけがえない、
すごいよ!
はあ、もう次の公演が生でみられるかわからない状況だし、めっちゃ集中、と思って席に座りました。
でもやっぱこうふんして最後とか記憶なくて
やっぱ早くもう1回、みたいなあ。

 以下公演の内容にふれています。







あれだけ荒木さんのインタビューとかでも旅、旅って仰っているのを読んでも、修行では…ない…だろ、と思っていたのですが(ゲームでもミュでもにっかり推しなのですが、ミュージカル本丸でまだだれも修行へ行っていない状況で、一振り目がにっかりではないだろうなあ、とかその他いろいろなんか…)
観劇すれば、なぜそう思っていたのか、これしかない、これだったんだ、と。
思いました。
舞台の、脚本の、荒木さんの、にっかり青江の、説得力、

しかし、まあ、修行ではないだろ、でもなにかしら青江の内面に関する内容があるのだな、くらいの感じで見始めたにっかり青江推しの初見のすなおな観劇中の気持ちは以下です。

 幕が開き、青江を見つめるなか、途中でこれが青江が修行に行くお話なんだ、と自分が理解して、この本丸の青江が(私としては、きょうここで!)極になるんだ、ほんとに、そうなんだ、って思い始めてからあの最後のピカ!、ってなって暗転して青江の手紙のナレーションと刀剣乱舞が流れ始めるときまでの心の(…?)緊張とかがこう、やばくて…はいていたデニムのひざのところをずっと握りしめていました。
暗転して、刀剣乱舞の曲がかかって手紙のナレーションが流れている間はもう緊張と興奮が最高度の位置でピーーーーーーンってなって気持ちが爆発、
青江が極のすがたで登場したときはもうただただ、ウワ!!!っていう、うちふるえました。ブルルルルルルって、なりました。
めっちゃ…かっこよかったですよ…立ち姿…うつくしくつよくしなやかなにっかり青江が、バン!って
そして刀ミュのテーマ曲である刀剣乱舞ていつきいても興奮やらなんやらが、ありますけど、
単騎の、修行から帰ってきて歌い踊られる刀剣乱舞、や、最高です。



いや極なった、なる瞬間を舞台で見られるということがほんとにもうすごくて。なぜ修行に行きたいとおもったのかという心の動きまで1公演まるまるかけて舞台で見られるということが、すごくて。
想像していないところまで持っていかれたというか。
修行からかえってくるという大きいポイントが最後にあるけれど、コンテンツとして初めてのそれなわけで、強度も説得力もなければできなくて、でもそんなこと見る方が考えるまでもなくすばらしくて、だからこそあの最後の極になる瞬間の感情の爆発があるわけで。
見られてよかったなああ、
2回目ですけど、極の姿!美!強!泣!

内容については覚えていないところもある、かつまだぜんぜん考えてないとこもいろいろあるけど 
「僕がもっと強ければ彼らは刀のままでいられたんだ」のところが、
歌合(2019年の刀ミュ公演)のストーリーやせりふにめちゃつながってて、
あー!刀ミュ!(シリーズ通して良い作品!)
かつ、歌合の最後の挨拶のあのアッサリ青江からもかんぜんに繋がっててよけいウワーーって、なり、なります。
荒木さんがどこかでこのことについてお話されていた気がするのですがどこだったか、パンフレットじゃなかったかなあ。
(あのパンフレット、あの本が存在しているというだけですごくないですか。)
(アッサリ青江、てかってに言っていますが、歌合の最後の全員一振りずつ挨拶するところで、刀によって話す内容はいろいろなのですが、青江が「新しい刀がきて君はよろこんでくれたかな」ていうことだけ言うて、挨拶を終えたのが印象的でした。自分のことは何も言わずに)

てか…この公演があおえかわい〜などという舞台ではないことを、わかって、それでもいいたい、最後のあなめでたや、かわいすぎた…。かわいいもん…。
歌合のBlu-rayのDISC2のほうのあなめでたや、青江が1のほうよりおおめに映っておられるのでよく見ていて、まじ…この歌うたってる青江いいなあ、といつも思っていました。
それを…ぜんぶひとりで…ほがらか青江が…。
でもよく考えたら、いろいろ葛藤はもちろんこれからもあるけれど、あのアンコールてきに歌われた「あなめでたや」は、
極めてこその、しんそこほがらかに歌い踊るにっかり青江ってことなのか?だからあんなにほがらかかわいいのですか…とも考えられる…。
いつもながらお声がなんともすばらしくて、このあなめでたやも、刀剣乱舞も、劇中も、全編通して歌ってやっぱり、いいなあとほんとに思いました。



内容のことにもどるのですが、
青江が旅に出たいと思ったのはあのころ、とねんころりを歌っていたので、(配信見て訂正追記、ねんころりではなく、かざぐるまでした、)三百年の任務の途中〜終わりころにはそう思い始めていたっていうので合っているのかな。
かつ、「一緒にわらうことはできても」心からはわらったことがなかったんだって、言っていたじゃないですか。ってことは三百年の子守唄の最後のとこ(本丸で石切丸と並んで座ってしゃべって、一緒にわらうことくらいはできるよ、僕にもね(細かいとこちがったらすみません…)の時のこともふくめての話だとおもうのですが
青江…めちゃくちゃにやさしすぎやん、
まって、三百年で、青江ってじぶんの内面ださないけれど、相手を尊重しておもいやるっていうほんとうの意味で、ものすごく優しいよなあ、と思っていたけれど、
この単騎公演をみて、三百年の子守唄での長期任務を終えて本丸に帰ってきて、そんないろいろな思いが自分の中にあるなかで、石切丸にああやって声をかけたのかい?って思うたら、え青江やさしすぎやん…。泣
ってなって…
なりました…。


原作のせりふや設定からもわかる、戦うのに慣れている、戦のための刀、であるにっかり青江、その青江が「戦っていると無心になれるんだ」っていうシーン。「それじゃだめなんだ」「なくしたらだめなんだ」っていうシーン。心のことだよ…。
青江の強さは仲間や、大事にしたいものをおもう心を持って、持ったまま、強くなる、てことなのか、ちょっと、またかならず、見ます!
今日からは配信もある!




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