したこと、されたこと、フェアじゃない

ぼくは傷ついた!
傷つけられた!
ひどい!
被害者である!

エゴさんが、防衛反応さんが反応するなにかがあったとして
傷ついたじぶん に
傷ついたじぶん、ひどい言動をしたそとがわ に
フォーカスする。

いじめた側はおぼえてないけど
いじめられた側はおぼえてる
わすれない わすれられない

されたことは覚えてるけど
やったことについては無自覚だ
みたいにいわれるやつがあったとおもいます。

わたしがやっちまったことは覚えてない。
わたしが覚えてる「やっちまった」と
相手がそれについてどのように感じて覚えてるかが
一致しているとも限らない。
じぶんが思いもよらない、覚えていない、わすれた…とさえおもっていない言動で、相手はショックを受けている可能性、ありますね。おおいに…

エネルギーバンパイア(えねばん?)
にあってしまったら? 対策 という記事はいくらでもあるけど、ジブンがエネバンだったら? という記事はみませんよね、といった趣旨の記述をみた。
こちらの記事でした。




こちらの記事を「じぶんと接した相手がこのように感じていた、受け取っていた」としたら。。。。。という視点から読みました。

こちらの記事のように、相手がわたしに面と向かって指摘してくれたとして、自分が相手に苦痛を与えたなんて夢にも思わない、自覚などできない、いいががりはなはだしい、なにいってんだこいつは? こんなこと聞かされるわたしはかわいそう、なのですよ。
わたしがただしいまちがってるのは相手、なに被害者ヅラしてんの、被害者はあなたじゃないわたしだと思うだろうし、聞く耳なぞもたないんですよ。
自覚がない。
自覚がない。

自覚が ない。
 
それってないといえるのか?
あるとおもいます と。

発動の条件とか、程度の差はあったとして
そういうプログラムがひとにはインストールされているんじゃない?
わたしにこのプログラムはいってるし起動してるっしょ
こちらの記事の状況が薄まったものは、日常に漂っている 漂っていたなこれ
とおもいました。
これです、と今すぐには出てこなくて、いえないけども。

あ、、あの状況はもしかして、そうだった。
思い当たれたってだけでまし。
あれとこれ、やられたとおもってるってやつ。

被害側としても、加害側としても、こわい。

つらいなぁ、おれが、おれが! ってぶつぶつしてる位置から距離をおいて、そっち、加害側のぼく という方向からすこーーーしだけ、意識、考えをむけてみることができるかも。。という可能性。


このエネルギーに振り回されて、じぶんから垂れ流して循環させてるうちは人間機械 なんだろうなあ、たぶん などとおもいました。









ひ孫引用くらいになってしまうかもですが、じぶん用に貼っときたい📝
バシャールさんだそうです。

地球上に住む殆どの人がサバイバル・モードで人生を生きています。サバイバル・モードの中身には被害者モードが生きづいていいて、大きく分けると受動態と能動態に分ける事ができます。簡単に言うと、『逃げる』か『戦うか』のどちらかのエネルギーが存在しています。

加害者と呼ばれるエネルギーは、”戦いモード”で動く被害者意識です。

被害者と呼ばれるエネルギーは、”逃げモード”で動く被害者意識です。

つまり、どちらも同じ被害者意識のエネルギーから作られています。ようはサバイバル・モードの視点で世の中を捉えているので、『誰かかから攻撃されている』といった被害者意識で世の中を捉えているわけです。

この被害者意識の視点をひっくるめて、私たちは『他人軸』と呼んでいます。

情報も物質もあなたが望むものは、すべてあなたのもとにやってきます。それを体感してください。そしてそういうものだという実感を確信に変えてください。深い確信です。

引用文はバシャールさんだけど、↑のリンク先記事でお話してるのはアシュタールさんというw



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?