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「堀さんのツモらず」と「誰切る」

「誰切る」とは?

「何切る」に対応する造語だよね。
どこで生まれた造語かは知らない。

誰がその牌を切ったか、あるいは、切ると言っているかによって評価が変わってないですか?というニュアンスの言葉。

「誰切る」活用例

例えば、誰かが何切るをTwitterにあげる。

「2sかなぁ?」
「打2s」
「2s一択」
「ノータイム2s」
「打3mだけは無い」
などなど、打2s推奨の意見が出る。

そこに颯爽と現れる天鳳位、魂天、あるいはNAGA。
「打3mも良い」
「微差だけど3m切り」
「3mを選びたい!」
など、信頼されている打ち手が打3mの意見を出す。

これによって、突然、
「確かに打3mは悪くない」
「打2sはぬるい」
など、「ノータイム2sくん」ですら宗旨替えをしてしまう(笑)

「なんだよ!結局、何切るじゃなくて『誰切る』じゃねぇかよ!」
と、揶揄する趣旨で使用されることが多いイメージ(笑)

(笑)としているが、他人事ではない。

私も、強者の意見を聞いて、「おっと!」と自分の意見を変えた経験が無いとは言い切れない。
いや、その程度ではない。
「誰切る」の経験者?
いやいや、熟練の達人の域にまで達しているかもしれない。
「誰切るマスター」という称号があるなら、初代は私でも構わない。

本来であれば、誰が切ったかは関係なくて、純粋な打牌だけでその良し悪しを判断するべきだと思う。

私もそう思っていたの。
それがフェアでしょ?って。

でも、もしかしたらそうじゃないのかもしれない、って話。

堀さんの満貫ツモ、らず

今さら感あるね(笑)
そう。適当に思いつきで書くから、時機を逸するのです(笑)

損得とかはよく分からないので、分かる方に任せるとして。

セミファイナルのあのシーンに感動したという人は多かったと思う。
私もそう。

「堀好き」とかでその深い思考を聞いている人であれば、「あの堀さんがここまで悩むのか!」と驚いたと思う。
麻雀に関しては「俺が正解」とまでは言わないけれど、それに近いほどの自信家キャラの堀さんが苦悩している!

ぬぉ~!あちぃ~!
となったわけ。私はね。

これって、私が偶然堀さんのことや堀さんの麻雀を少しは知っていたからなんじゃないかなって思う。

これがさ、誰とは言わんけど、麻雀の研鑽をしているとも思えない、普段から何考えてるのか分からないようなプレイヤーが堀さんと同じチーム状況であそこに座っていて同じように苦悩していたと想像してみる。
私は同じように「あちぃ~!」と思えたかな?

いや、全く思えない。
「はよ切れや」
くらいしか思わないだろう。
だって、「誰切るマスター」だもん(笑)

「誰切る」ってホントに不公平?

「『誰が切ったか』でその評価を変えるなんてのは、不公平だろ?」
そう。私もそう思ってたの。

でもさ、何切るなんて、最大14択のクイズでさ、実際はせいぜい3択くらいしか選びようがないじゃない?

初心者だろうが、とんでもない実力者だろうが、だいたい3分の1で一致するもんなわけですよ。

そのせいぜい3択のクイズを見ていて楽しいんですか?
いや、つまらん。

なにがその選択をおもしろくしているかというと、「誰が選んだか」という要素だと思うんだよね。

「あの堀さんが!」ってのが、あのシーンをおもしろくしたよね。

そう言えば、寿人さんの128秒?の長考もそうだったじゃない?
「あれだけスパスパ切る寿人さんが!」ってのがしびれた理由だったでしょ?(これまた古い。そう。思いつきで書くからね。)

「でも、他のプレイヤーが同じように悩んでた場合には、なんの感動もせず『はよ切れや』ってのはアンフェアじゃない?」

うん。そんな気もする。

でもさ、申し訳ないけど、それまでの積み上げが原因だと思うんだよね。
これまで適当にしか思えないような打牌をしていた人がいくら悩もうが、なかなか共感できないじゃない?

その人がそれまでに積み上げてきたものを含めて打牌を評価する方が、むしろフェアなんじゃないかという気もするのです。

堀さんは、Mリーグの数年分のすべての打牌と牌譜検討配信などなどで、
「コイツの選択は信頼ができるぞ!」
と多くの人に思わせてきたわけ。そう思ってない人もいるかもだけど。
この信頼ってのは、そう簡単に得られない大きな価値だし、堀さんの努力によるものだと思うのよ。

普段何も発信していないような人が同じ状況に置かれて、同じように悩んで、偶然同じ選択をしたからと言って、
「堀さんと同じように評価してくれ!」
ってのは無理な話だし、そんな風に評価してしまうのは、むしろアンフェアじゃない?

寿人さんも、同じように、長年の積み重ねで、
「コイツはノータイムで正着をスパスパ選び続けるぞ!」
と思わせてきたわけ。

それなのに、どこかの誰かが、たった1半荘スパスパ切っただけで、
「寿人さんと同じように評価してくれ!」
なんてのは都合が良すぎるような気がする。

まとめ

というわけで、「誰切る」ってのはアンフェアの見本のように思われがちだけど、むしろフェアなのではないか?って話でした。

ただ、これって行き過ぎると今度は「信者」になるから危険なんだよね(笑)

たまにいるじゃん?
「○○さんの打牌は、魂が込められたものなので不可侵であり、常に正着なのだから、素人が批判するなど許されない!!!」
みたいなこと言う人。

こうなっちゃうのは当然良くないので、そのへんのバランス感覚もなかなか難しいよね。

これ以上まとまらない気がするので、この辺でおしまい(笑)

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