見出し画像

ノットグッドノットバッド

2021年の秋の終わりにポンパンは活動を一度止め、そのまま年が明けた。

手持ち無沙汰になってしまった2022年、そろそろ引っ越すと言い続けながら賃貸を更新し、また春になった。

つかれてしまったハシカワ君を心配しながらも、自分の人生も少しずつ動かし始めた。

ずっと世間を覆っていたコロナが、少しずつ終わりの兆しを見せ始めた。

いけなかった旅行の計画を立て、車を買った。

ちょっとだけギターのサポートをさせてもらって、自分の曲を書いた。

ハシカワ君は少しずつ、自分の力で戦っているようで、時々通院の様子とか、ワークの事を教えてくれた。

その時はまだハシカワ君は近所に住んでいて、最初は誘うのも遠慮していたのだけど、せっかく近くに住んでいるのだから、と思って何度かご飯に誘った。

自分もあの時仕事が本当に嫌で、自分の話も聞いてもらった気がする。川越の喫茶店だった。

そういえば、サッカーにも誘った。ちょうど三笘くんがイングランドで活躍し始めて、サッカー熱がすごく上がっていた時だった。

そのうちに彼も少しずつ前を向けるようになって、大宮で仕事の事を相談してくれた。
その時の自分はしきりに、「将来やりたいことから逆算して道を選んでいけば良い。理想を描いた方がいい。」と言っていた気がする。
(そして、三笘くんの著書に「逆算思考」という本がある。)

その考えはそれであっていると思うのだけど、じゃあ今自分が逆算した道のど真ん中にいるかは分からない。

そして、そんなものかと納得して、今からまた考えるしか、できることはない。

結局彼は仕事を変えることにして、引っ越していくことになった。

引っ越しの前後に一週間ばかり、彼を家に住まわせることになった。

(そうか、義理のお母さんに渡したはずの3つ目の鍵が、引き払うときに家から出てきたのは、途中でハシカワ君に貸していたからか。)

自転車で数分の喫茶店に行った。
最終日に彼の希望で塩サバを焼いた。
家の高性能なオーブンレンジで塩サバを焼いたのは、その時が初めてだった。
結局はほとんど、レンジとしてしか使っていない。

七月の終わりに彼は出て行って、ご近所さんではなくなった。

その年の夏に、ダイチャンはニュージーランドに行った。

子供の時ロードオブザリングに熱中した自分からすると、すごくうらやましくもあり、でもそのときの自分の人生では、できない判断ということも分かった。

あきらめとも少し違っていて、うらやましいけれどそうではない生活の方が、自分には、尊かった。

しかし、ポンパンが再開できるのだろうか、という心配は少しずつ増えていった。
ポンパンがなくなったら、自分は音楽と関わり続けられるだろうか、という不安はずっとあった。それはバンドに入れてもらった時から。

心配しても仕方がないので、自分の曲を書いて、ライブをした。

初めての場所で一人でライブをするのは、不安というよりかはあっけなかった。
ライブの出来が良かった悪かったと反省しあうひとがいなかった。

2022年の年末にワールドカップがあり、流行語になるくらい三笘くんは活躍した。

ずっと行きたかった旅行に行った。

年が明けた。

2022年、2023年は個人的には激動の年で、2023年も年明けから大きく人生が動き出す予感がしていた。
まさに期待と不安という調子だった。

しかし世の中は暗いニュースも多かった。今も終わらない戦争、紛争の話もそうだし、訃報もいくつか、いくつも、あった。

そんな中、冬が終わり、春になろうかというときにハシカワ君が持ってきたのが、このノットグッドノットバッドになる曲だった。

よかった。すごくよかった。

ハシカワ君がまた曲を書けるようになったことに安心したし、ポンパンは復活できる、と思った。

復活してこの曲を発表しなきゃいけない、と思った。

そのうちにダイチャンも帰国して、ポンパンは復活する準備が進みだした。(ハシカワ君とハジメ君と三人でライブしてみたりもした。)

実際のところ、スムーズに復活というわけでもなく、小競り合いもしたのだけれど、結果的にちゃんと復活できて良かった。


自分はこの曲を絶対に世に出したいと思っていたし、みんなもこの曲だけでなく、ポンパンの曲を信じていたから戻ってこれたんじゃないか、と思っている。

ポンパンの復活準備と並行しながら、予感通り自分の人生も大きく変わっていった。

正確には、自分で選んで変えていった。

その判断は自信に満ちたものばかりではなくて、これで大丈夫なのかな、と思うものも沢山ある。

予定があるわけではないけど、バンドにいつまでついていけるかも、先のことは常に分からない。不安は尽きない。

でも、だからこそ、この曲を無事に出せて良かったと思う。

そして、よくもない、わるくもないと歌われる度に、自分で選んだ、重ねに重ねた不安だらけの人生を、そんなものかと受け止められる。



その後、ポンパンは無事復活した。

自分は今年のはじめに、六年間住んだ家を引き払った。
前述の通り、義理のお母さんに渡したはずの3つ目の鍵は家の中から普通に見つかった。

いま、ハシカワ君と行った喫茶店の徒歩3分のところに住んでいる。

あたまのなかを巡る、ヨイワルイとは関係なく、時間は過ぎるようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?