要約 モース『贈与論』

デュルケムを継承して、社会全体を捉え、それを動的に捉えようとした。→贈与は3つの契機からなり、物的交換と象徴的交換の側面をもつ。→この自発的な義務という逆説をささえるのが「物の力」である。→もの(物、象徴)によって社会―人は動的に連絡しあう→ただしそれは平和的側面と過剰な側面がある→現代人へ「社会全体」という構想をもたらす目的。

 デュルケムは『宗教生活の基本形態』においてトーテミズムという「集合的表象」を把握することで、社会の凝集力を捉えた。モースはこのフランス社会学派の全体性志向を継承しつつ、「全体的社会事象」として自らの研究対象を再規定した。人、もの、社会の動的・重層的過程を描くことで、全体へ迫ろうとした。本著ではそれが「贈与交換」という事象について記述されている。
 贈与は「与える義務」「受け取る義務」「返礼をする義務」の三契機から成り立つ。儀礼的行為としての贈与において、異なる社会集団同士が関係づけられる。また、贈与は単なる物的交換のみならず象徴交換の場でもある。すなわち、交換されるものには、贈与者自身(尊厳、地位、行為)が託されているのである。
 このように社会全体の流動性を発揮する贈与の「自発的な義務」とも呼べる力は、物に宿るとされる(マナ・ハウ)。近代の契約主義的経済・法制度では覆われてしまった贈与の社会的全体性がアルカイックな社会で見てとられる。
 ただし、自発的な義務とはいっても、単なる予定調和には終わらない。贈与とは取引ではなく、自発的な配慮と時間によって成立するからである。そして、贈与が戦闘を防ぐ平和的な面と、ポトラッチのように過激化する側面をもつことから分かる通り、贈与にはダイナミックな緊張が存する。
 モースの狙いは、アルカイックな社会の記述ではなく、むしろ社会の「全体」の一員として充足されることのなくなった現代の人間に対して、「社会全体」という有機的営みの構想を与えるものであった。

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