愛撫(サルトル・レヴィナス)

 『存在と無』において、自他関係は基本的に支配の相克として語られるが、その支配方法のひとつに愛撫がある。愛撫とは他人に触れることであるが、単に触れるのではなく、他人の自由な主体性を奪おうとする性的欲望である。なぜなら、他人の身体をさすることで他人は物理的対象として私の支配下に置かれるからである。ただし、その時私も肉体として、即自として存在せねばならない。ゆえに愛撫とは相互受肉である。対自としての自己がそのような受肉を果たしうるためには、自己意識も受肉、すなわちものとして能動性のないまどろんだ状態にいなければならない。

 『全体性と無限』でレヴィナスも愛撫を扱う。彼にとっては、愛撫は質料性としての身体との接触という点では感受性であるが、他方、接触の彼方にある超質料性としての「エロス的裸出性」をめざすという意味で超感性的である。女性的なものという法外な「非」存在をめがけて、存在するものを触り続けるこの無為な焦燥。対象や顔の彼方にある女性的なものの絶対的他者性を、愛撫は開示している。

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