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心象が巨大化する時代に

国際文化学への人文学的アプローチとして「個人の内面」に着目する研究を続けている。いわば内面の心象風景を考察対象とするわけだが、ここで意識しているのは「心象の発生条件」だ。

僕らはそれぞれ思想・良心・宗教感情を兼ね備えている。その思想的枠組みは「眼鏡」のように僕らの感覚を規定する。言い換えると「先入観により認識が歪められる」のである。

誰もがSNSで「心象」を発信する時代だ。「だるい」「うざい」といった言葉でTLが埋め尽くされ、自分の感覚もそこに動員されそうになる。だが誰かが「だるい」とすることが自分にも当てはまるとは言い切れない。九十九人が居眠りする講義の中で、一人が目を輝かせることもある。重要なのは「誰かのだるさ」ではなく「講義の内容」に他ならない。

心象が肥大化する時代(田中泰延氏の指摘を踏まえた解釈)は、自粛要請の「ひきこもり生活」の中でブーストしているかもしれない。だからこそ可能な範囲で「事象」にあたり、動的な状態に身を投じることが意味を持つ。

火曜日は橿原に遠征した。学会エクスカーションの下見である。今井町を歩き、新沢千塚古墳群を見学する。屋外ゆえ、換気の問題はたやすくクリアできる。

歴史的建造物が生活と溶け合った今井町、そして古墳が当たり前のように残り続け、散歩コースになった新沢。ここには歴史と動的に接続される「動詞としての文化」が見出される。

翌日は近畿大学と弘前大学の学生によるラウンドテーブルを企画する。テレワーク型のディスカッションで「距離」の問題を克服する。弘前グローカルアクションという地域文化プロジェクトが抱える問題と、その活動を見て各々の故郷を振り返る近大生の関心がぶつかり、ダイナミズムが生まれていく。

並行してRPK(関西フランス語教育研究会)にも動きがあった。年次大会が中止となる中で、論集の形態をめぐる各人の議論がメール上で飛び交う。人間の活動がダイナミズムを生み、思考が促されていく。

僕らは動かねばならない。そしてぶつからねばならない。ダイナミズムを帯び、止むことのない議論の中で、様々なものが生まれている。心象の肥大化を乗り越え、具体的事象と「動詞」を結ぶ選択肢は、まだ無数に残っている。

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