キューバ音楽を聴きながら

村上龍の愛読者が高じてキューバ音楽に興味を持ち、10年ほど緩やかな愛好家を続けている。詳しくなることもなく、曲名を覚えることもない、まったく不真面目な趣味だ。キューバ音楽について語れるものなど何もない。

子育て中の現役世代にとって「時間」ほど縁遠いものはなく、大抵の娯楽は触れることもできぬまま過ぎ去っていく。その中で音楽は「ながら」ができる数少ない機会だ。さらにAlexaのおかげで口で頼めばラテンミュージックが聴けるのだから、ずいぶん恵まれた時代である。

ところでなぜキューバで音楽が盛んなのか。そもそも「キューバがスペイン語」というところから話が始まっていく。

スペインが入り込んだラテンアメリカの世界において、キューバは宗主国の貴族が庶民を支配する体系を取る。砂糖の生産地となったキューバにアフリカ系の奴隷が暮らすようになり、ヨーロッパの宮廷音楽とアフリカ由来の音楽が持ち込まれ、混淆するという、まさに文化触変が展開されていった。加えてキューバ独立後のアメリカの支配、キューバ革命によるソ連との接近による社会主義システムへの切り替わりなど、国際文化学研究者としては関心が尽きることがない。

様々な文化の影響を受けて創造された音楽が、社会主義のシステムの中で国家的な能力開発の対象となり、凄まじいレベルのミュージシャンが養成される。勝手なイメージだが、バンド経験がある人なら「部活で楽器を演奏していた人」の上手さに思い当たるだろう。日々厳しい訓練を受けたプレイヤーは趣味的な人間と異なる技術を持っており、国家レベルのトレーニングを受けた奏者のテクニックは容易にイメージできるだろう。

ロックに慣れた僕らは、ギター、ベース、ドラムの構成をバンドの基本的イメージだと思い込む。だが、キューバが歴史に裏打ちされた音楽を流行させているように、日本のフォーマットもその歴史性に関わっている。ノスタルジーの対象となる固有の文化は、その背景に様々な文化要素の混淆があり、時代の中でなお変化のダイナミズムに晒されている。

子供を遊ばせながらAlexaで各国の音楽を再生することが容易となり、入手困難な音楽がサブスクリプションに揃っている現在、各文化圏の音楽がどういった変化に晒されるのか。キューバ音楽を一つずつ辿りながら、5G時代の文化触変について想像を巡らせてみる。

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