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制約が物語を生む

長男が急に高熱を出した。休日や深夜など、小児科が簡単に使えない状況での体調不良は「慣れ」を一気に揺さぶる。イレギュラーな動きでとりあえずのベストを尽くす。

仕事に熱を入れても、結局は子供や家族の予想不可能な出来事がスケジュールに侵食してくる。仕事ベースの社会生活はつねに微妙なバランスの上にある。ゆえに育児を生活の中心に据え、不確実性に対応できる心の準備をしておく。だがそれは「仕事」の優先度を下げることにつながる。

子供は薬を飲み、体調を戻しては、また熱を出す。寝込んでいるあいだの時間に目を向けてみる。

『三体』という中国のSFが話題だ。SFにはしばしば宇宙からの侵略者が登場する。大味な小説であれば、『インディペンデンス・デイ』のように、勇敢な人間の活劇が描かれる。だがSFは「科学」と「フィクション」の融合だ。その制約の中で、科学的根拠が物語の展開可能性を狭めていく。

制約なき物語と、制約に囚われた物語。制約のなさは必ずしも自由を意味していないかもしれない。なんでもアリのエンターテインメントは、しばしばあまりにも簡単に「活劇」という展開を選ぶ。そこには予定調和に満ち溢れたピンチと大団円がツイストを描く。

あえて制約を選び取る。科学的根拠の中にフィクションの可能性が少しだけ残る。それを丁寧に紡いでいくことで、作品は活劇から距離を取る。

子育てという制約をあえて一身に受けることで、研究時間・研究方法・研究分野が可能な形に変化する。子供とともに過ごすことが、思いもかけない方向から研究を発展させる。このような手法がよいかどうかわからない。だが少なくとも僕にはこれしか方法がないようだ。

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