「仲介」を通してキーワードを考える

祝日は簡単に。

ある学会の仕事で、文化についてのキーワードを集めている。自分の興味が文化と文化の「あいだ」なので、そこに関連付けた作業が必要となる。

「文化」と一口に言っても、その内容は様々だ。日本人は日本文化を生きているが、では日本文化とは何か?このような答えのない問いを発する教員もずるいという自覚はあるが。

文化はしばしば具体例によって説明される。日本文化は和食であり、箸を使う、といったものだ。だが当たり前のように僕らは洋食器で食事をし、朝食にパンを食べる。日本文化という固定的なものが通用しないことはこの事例によって容易に理解できる。

「文化」を含む熟語は様々だ。地域文化・若者文化といったタームも耳に馴染んでいる。とすると若者は日本文化・地域文化・若者文化を複層的に生きている。あるいは日本に入り込む外国文化にカジュアルに触れることで、アメリカ文化・中国文化・韓国文化などに触れている。ここに日本語・地域語・共通語・外国語・若者言葉が入り込む。このように複数の文化・言語を自身の内面に持つことを「複言語・複文化」と呼び表す。

僕らが目の前にしている他者もまた、複数の文化を内包した存在である。バックボーンが異なれば、文化と文化のミスマッチが生じてしまう。その「壁」を前に立ちすくむか、他者との交流に向かっていくか。その時に僕らは自分の文化を捨てることなく、他者の文化に触れる。ここに「仲介」の意義が見て取れる。

さて、僕の研究対象である文学は、文化と文化の仲介者としていかなる機能を担っているか。あるいは文学を仲介者と見なすときに、どのような考え方の枠組みが必要か。現在のキーワード選定作業は、このような考えに基づいている。プロジェクトはまだ始まったばかりだが、どのように展開していくか楽しみだ。チームのあいだに立つ自分もまた仲介者なのだろう。

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