発音における身体的疎外感

RPK2022の最中なので簡単に。

朝イチでラウンドテーブルとして発音の議論を行った。

僕らは文学研究からフランスにアプローチしたため、当然ながらフランス語習得も文字ベースとなる。文章の読解のために文法を覚え、適切な解釈を行うために文字を読み進める。

発音は文字媒体からすり抜ける。英語表現に慣れた状態でフランス語を読むと、au, euといった綴りに惑わされていく。文字は情報を伝達するが、その情報量ゆえに外国語学習の妨げとなるケースが存在する。

発音の再現場所は当たり前ながら身体だ。身体は自分と他者に共通して与えられた基盤である。僕らは身体の共通性に基づき、言語を発する。日本語と異なる文化圏においては発音がしばしば異なるが、発信する機能は同一だ。人間に出せない音が存在する音は存在するが、言語は身体の枠内で再現される。

しかし今日の議論の中で、再現は個々で異なるということを今さらながら理解した。確かに身体は共通の発音の基盤である。だが僕とあなたの出せる音は異なる。身体は共通しているが、固有の身体には差があり、その身体的特徴のために発音が不可能な音も存在するわけだ。そんな当たり前のことを今日の議論で理解するに至った。詳しくは論考で書くことにするが。

僕は身体の共通性をどこか過信しすぎていた。しかし身体は人によって差異がある。その微細な差異に向き合ったときに、集団における発音教育をどう扱えばいいのか。それが四月からの課題となる。

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