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「他」なるものを注視する

オンライン授業に追われているが、仮にオフラインだと想定してみても同様に追い込まれる時期だ。それならばあえて研究上の目標を作り、教育と研究の両輪を回してみる。学会の延期を受けて中断していた論考のテーマは、本来であれば来年度のシンポジウムに取っておくべきかもしれないが、この段階で言えることは言っておきたい。

今回のテーマではプルーストのラスキン批評に目を向け、それを堀辰雄の諸作品と繋ぎ直す。ジョン・ラスキンという研究者は「プルーストを通して」知っているが、まずはラスキンそのものにアプローチしてみる。『アミアンの聖書』を改めて読んでみると、土地の歴史から入念に大聖堂の分析が語られる点が興味深い。

当たり前のことだが、個別文化は地理的特性・歴史的特性によって差異が穿たれる。それゆえに日本文化とフランス文化は大きく異なる。当たり前のことではあるが、「普遍文化」というテーマに目を向けると、両文化圏の本質的な共通点ばかりに目がいってしまう。そして日仏両文化圏の共通点をひとつずつ探していくことが自分の研究スタイルだった。

だが、文化の固有性の中には当然ながら「差異」が存在する。あるいはそれを「他者性」と呼んでもいいだろう。異文化の接触は、文化触変をもたらすゆえに、異文化は自文化の中で変容を遂げるが、変わらないものは変わらない。その「変わらなさ」をスルーし、共通点を重視した論考を積み上げてきた。だがコロナ禍の世情を概観するまでもなく、圧倒的な「他者性」が「壁」として屹立している。ゆえに個別文化の個別性を追求することに意味を感じている。今回の論考でどこまでできるかは不明だが、他者が他者たる所以をひとつずつ解きほぐす作業を繰り返してみる。

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