生と死の境目について考える

墓にまつわる研究会に少しだけ関わらせてもらっているが、僕の視点はつねに「境界線」「意味の多重性」に向かう。

墓とは第一に「死者」の象徴となる。当然ながら死者はこの世には存在しない。死者は「不在」だが、それが墓石などによって示されることは、いわば「不在」の「在」という撞着を孕む。

死者が灰になる。灰は消滅を意味する。しかし灰は痕跡として残る。灰は「消滅」か「残存」か。かつてジャック・デリダが『火ここになき灰』において「そこに灰がある」という文章が内包する多様な意味を浮き彫りにした。

僕の研究フィールドにおいては墓に関連するテーマが限られてくる。その一つが「古墳」だ。堀辰雄は『大和路・信濃路』の中で橿原市の菖蒲池古墳について語っているが、古墳を「古代人の墓」と見なすことで、このテーマに接近できる。

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むろん、堀が作中で述べるように、飛鳥時代の原始的な他界信仰は、現在の墓のような形を取っているわけではない。玄室に死者を置く古墳文化において、死はどのようにイメージされたのか。

過去の論考において、僕は古墳をきっかけとして死を想う堀の事例に着目し、古墳を生と死の境界として位置づけた。死者を内包する古墳は、封土の上に木々を生やし、自然の景観として土地に定着する。死者の上に生の世界が存在することは、我々の足下に死者が眠り、二つの世界が連続していることを思わせる。

古墳の玄室へと至る道を「羨道」と呼ぶ。生と死の世界が一つの道でつながり、我々のいる世界から死の世界が垣間見える。古墳の上では草木が茂り、虫が生まれ、境界線上の向こうは石に囲まれた静謐な空間だ。そしてこの生死の境界における神話的世界は、プルーストのある挿話にも有機的に関連していく。古墳の死生観は人間の根源的な感情として、西洋文化と繋がるのである。

まだ考察を始めたばかりだが、古墳を切り口として墓という文化についてアプローチすることにする。

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