名詞=数字を超越する動詞

お久しぶりですヨドコウ桜スタジアム。

そしてようこそアルビレックス新潟の皆様

毎回、日常のエンジンが定まるまで開幕数試合はリモート応援なのだが、今回は時間も取れそうだったので、セレッソ大阪対アルビレックス新潟の開幕戦に行ってきた。

今季のセレッソはジョルディ・クルークスやレオ・セアラといった充実の補強の一方で、ジェアン・パトリッキを失っている。その状況で香川真司の復帰が告げられた。大阪に来てからセレッソを応援した僕は、香川のセレッソ時代をまったく知らない。

ところでかつて住んでいた宮城県仙台市では18歳以下を集めた「仙台カップ」というものがあり、実は当時の乾を見ていた過去がある。この大会は日本代表、ブラジル代表、フランス代表が参加することもあって、アリアンスフランセーズ仙台からチケットを無料で譲ってもらったりしたものだ。その中に東北代表のチームもあるわけだが、やたらと躍進した年があった。把握してはいなかったが、仙台在住時の香川がチームにいたらしい。

さて、開幕戦のセレッソである。キャプテン清武が肉離れで離脱……こんな時は残ったメンバーが飛躍する機会でもあるので前向きに捉えていたら、正ゴールキーパーのキム・ジンヒョン、FW上門が別メニューでトレーニングとの情報が入ってきた。

勝利を不安する——むろん勝ち負けを競う競技において、サポーターが勝ちを目指すのは当たり前だ。しかもサッカーは「降格」があるため、チームの運営に影響を与えてしまう。そしていつしか我々はサッカーの試合と同じくらい「順位表」を気にするようになる。勝利が「勝ち点3」に還元されるのだ。あと何試合で、あとどれだけ負ければ降格か——そのようなことを考えながら、サッカーは「名詞(数詞)」へと転換される。内容に関係なく、勝てば喜び、負ければ怒号を発する。それは僕らが恐怖する減点主義の世界であり、自分がそのような職場環境に身を置くことを忌避しておきながら、サッカーに負の感情を反映させる自己矛盾が始まっていく。

試合は1-1のまま、後半に香川が投入されることになった。なんとなくハーフバックに来ると思い込んでいたが、レオ・セアラに換えてのFWとしての投入だ。8番——昨年乾が付けたセレッソのエースナンバーである。不在であった8番がピッチに現れ、ゴール前で躍動する。ベテランであるはずの香川は、プレスに走り、切り返しをし、パスでゴールを演出する。僕の席は相手ゴール前であり、目の前で8番が信じられないプレイを繰り広げるのだ。

とても写真を撮る余裕などないので息子が撮影していた。

試合は引き分けに終わり、後半最後に追いつかれるセレッソの悪癖は「今後」を不安視させる。そこにあるのは「勝ち点」を失ったことへのストレスだ。だが僕らは同時に「名詞=数詞」を超越するダイナミズムを目の当たりにした。エースナンバーを背負った香川真司という選手の凄まじいばかりの躍動である。

香川のパスが起点となり、ゴールを決めた奧埜は、不在の清武のユニフォームを掲げた。背番号13番は数詞に他ならない。だがそれが躍動にさらされることにより、僕らはそこに清武不在の中だから生じた物語を作り上げる。

ダイジェストで集められた「数詞」に繋がる場面では香川の動きが覗えない。断片的な情報で傲慢に語る醜悪さを避けるために、僕らはスタジアムに向かう。移動し、観戦し,叫ぶという動詞の積み重ねによって、僕らは名詞が支配する世界から脱却するのだろう。

いや、勝てば嬉しいですけどね。

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