気管支にリアリズムを感じる

咳喘息という持病を抱えているため、つねに咳き込んでいるが、この春の気温差により気管支がやられた。咳き込まないように活動を抑えねばならないのだが、こんなときに限って多忙となる。

僕は障害者手帳をもらっているわけではないので、いわゆるカギ括弧つきの「健常者」のポジションにいる。そして社会は健常者を一つのカテゴリに詰めて構成・展開していく。季節が変わり、喘息が厳しくなっても、仕事の保障はない。

「健常」と括られる人間にグラデーションがあり、問題を抱えた気管支とともに季節を過ごさざるを得ない僕は、やや不安な位置に身を置いて日常を生きる。この角度から世界を覗くと、「気温」「湿度」一つとっても凶器となり得ることを意識してしまう。

先月末のロシアの侵略から、世間および人文学の界隈を覆っていた「建前」は拭い去られ、理念では制御しがたい現実が剥き出しとなった。世界を平和と混沌に区分すると、我々は平和の側に立つ。しかしその平和もまたグラデーションが刻まれており、COVID-19の感染や、地震といった問題が次々と生じ、安定的な生活は簡単に脅かされる。

気管支に問題を抱えた僕は、安定した気温の中でゆっくりと過ごすしかない。そこに今度は電力問題が突きつけられる。化石燃料や原発についての理念がネット上を飛び交う中に、電力の安定供給を前提とした生活にぎりぎり守られている自分が存在する。電力のリアリズムは極めて単純であり、日本において化石燃料と原発の議論からは免れ得ない。自然エネルギーの理念は、「冬の太陽光」が果たして成り立つのかというごく単純な問題提起に晒される。

平和のグラデーション、健康のグラデーションを抱えた社会は、簡素な理念で語り得ない。安定的な電力供給は、化石燃料や原発の問題を突きつける。複雑に絡み合うステイクホルダーの糸をほぐすために、情報にリーチしようとする僕らは、センシティヴな話題につきまとう様々なプロパガンダに巻き込まれていく。危うい話題を封殺する大鎌が、発言を「危険」と断じては刈り取っていく。個々の物語=虚構の中にあるリアリズムの錯綜をいかにして抜け出すか。そもそも僕らはグラデーションの薄い色に気づくことができているだろうか。

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