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現実を塗りつぶす虚構としての現実

他者による物語の構築は他者に委ねねばならない。当たり前のことだが、これが面倒を生む。他者による一方的な物語の押しつけが、自分の物語をむしばんでいく——人の中に存在するときにしばしば感じる印象だ。そういった多様な物語の中で、自分という極小の存在はつねに溺れ死にそうになる。人生には様々な「税」があるが、他者の恣意的な物語の重税につねに喘いでいる。そして自分もまた無自覚のうちに他者から重税を取り立てている。

現実はつねにままならぬものとして横たわる。他者がいなければ生きられず、他者と生きることで面倒が生じる。功罪の合間を縫うように、自分が何とか息継ぎできるルートを探していく。

仕事を気晴らしにするのはどうかと思うが、フランス語圏文化教育ケースメソッドの新展開を求めて新たなケース(物語)を書き下ろしている。現実に起こりうる問題を物語化し、それを詠みながら解決方法を考えるケースメソッドは、そのリアリティが肝要となる。他者との間で生まれたこれまでの「税」をかき集め、ノートの中に新たな現実を作っていく。様々な現実をつなぎ合わせた虚構は、ワークショップの中で新たな現実としての価値を持ち、参加者を動かしていく。

物語を作っているとき、ふと身の回りの現実を忘れる。現実は抽象化され、虚構となり、ノートの上に新たに立ち現れる。その時に僕と現実の新たな関係が始まる。今はただ物語を書き続ける。

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