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2023.05.17 すごいところまできた

先輩と未来のお客さんと打ち合わせをして、退室しようとすると話が始まった。先輩は会社を辞めたいようだ。なんか煮え切らない感じだったけど、結構本気で考えているみたい。たぶん、辞めるって口に出すのが怖いんだろう。抱えてるものの大きさが分かっているからこそ、口に出すと言霊になっておおきな力となってしまうのが怖いんだ。このタイプの人は、口にするまでは遅いけれど、いざ自分で口にしてしまうと早い。自分の信念とズレたことをするのが許せないから、組織にいると心強い一方で、辞めると決めたらすぐに去っていく。違う組織で違う仕事してる先輩も観てみたいと純粋に思った。たぶん、俺が本質的に会社員が向いてないのは、組織的には引き止めなきゃいけないところで簡単に背中を押してしまうところだ。

ゼルダが楽しい。最初の島からやったことをまとめてみる。島から島へ渡りつぎ、新しい島に行くたび隅々まで歩く。歩き疲れるとストーリーを進めていく。仕掛けの難しさと敵の強さにひるむ。なるほどこれは続編のゼルダだ。武器やアイテムはケチケチ使う派だけれど、そんなことをしていると進めないから贅沢に使っていくスタイルにする。嗚呼たのしい。全力を出せることって素晴らしいと思うのだよワトソン君。ダウンチューニングすることの悲しさっていうものはあると思うんだ、って、先輩にも言った。能力ある人間は向上心も持ち続けていないと、虚しさを感じてしまうこともあるのかもしれないね。ないかもしれないけど。話が変わったけど、今のところゼルダはいい感じにゲームオーバーになってて楽しいのです。

銭湯にいく。手ぶら入浴可能で、600円で風呂入れた。手ぶらって言葉いいよね。「手ぶらで構いませんよ」なんて言われたら嬉しくて飛びあがっちゃう。リュックなんて背負いたくないしスーツなんて着たくないし時計なんてはめたくないし責任なんて持ちたくないのだ。そういうものなのだ。銭湯も人生も手ぶらが1番っしょ!

昔は文章を書けと言われても何をどう書けばいいのか分からなかった。今は疲れない限り駄文なら無限に書ける。文章を扱うことに慣れたからなのか? それともある種の適当さ、雑さが許容できるようになってきたからなのか? 昔に比べるとさらにお喋りになったからなのか? 自由を自由として享受する能力が育ったからなのか? わからないけれど、日記を書いているとやめ時が分からなくなることが無きにしも非ずし寿司。

自分で自分をスパルタにする性格ではあるけれど、他人にスパルタされるのはなかなかにストレスなことが分かる。脱走兵の物語を読んでみたい。

目を盗んで隊を抜けて、武器を捨て、身につけているすべてを下ろし、ただ走る。
追いつかれないように、バレないように、スリルの中走り抜ける。
森を通り、川を越え、しばらくすると森を出て草むらが広がっている。
追いかけてくる気配はない。緊張の糸が弛んでくる。
気づけばもう夜だ、星が出ている。
月明かりが眩しい。
どこか休めるところまで歩くとしよう。

ザッ、ザッ、ザッ、、、、、、、

静かだ。
風が耳を鳴らす。虫の鳴く声がする。
オオカミらしき獣が遠吠えをあげる。

でも、静かだ。心が凪いでいるのだ。
もう一度空を見上げてみる。
星の位置は変わっていない。

右を見る。左を見る。何もない、全く何もない。
おもむろに右腕を伸ばす。
手のひらを眺めて、手の甲を眺めて、手のひらを見る。
手をぎゅっと握りしめる。

「俺は自由だ」

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