忘れられない昼、自由な大人


忘れられない夜っていうテーマでエッセイを書いたけど、忘れられない昼の話も気になるよね。そうだなー私が忘れられない昼は2年前、大学院2年生の6月か7月の4限だった。映画学の英語の論文を訳して行く授業の予習が毎回カスの間に合わせだったのですが、それにしてもその週は気分が落ち込んでいて(理由は全然覚えてない)前日夜にも何も手につかなくて、もういいわ朝から大学行って研究室でなんとか準備しようと思って11時くらいに研究室に着いたはいいものの、論文のコピーを、テクストを家に忘れた。すごいな自分、さすがにすごいな。先生の研究室のリクライニングソファに寝そべる。すごいな、ここまで来て。授業時間は迫ってくる。その先生は私の授業のために大学に来てくれるのに。嘘を思いつかない私は時間が過ぎて行くのだけを待って、なぜか先生にそのままを伝える。「すみません、何も出来てなくて、持ってくるのも忘れて、というか最近何も出来なくて。」「うん。そういうときもあるよね、ちょうど私もそう。じゃあ今日はお茶しようか。」お茶…?お茶は最高。その日、先生は私に大事なことをいくつも話してくれた。

忘れられん。内容は書けん。

今日も絢乃さんと二人でルアンちゃんのペパーミント編集作業をした。一つ一つ心を込めて写真を選んだり余白を考えたり順番を並び替えたり、そういうことをした。絢乃さんは、好きに決まってるけどまだ私が知らなかったものをたくさん知っている。デイヴィッド・ラシャペルが監督したダフネ・ギネスのMVを見た。

5月から、大人っていつもこんな感じなんかなやべー、って感じの慌ただしさのまま生きてるけど、26歳なんて年下の人から見たら全然大人だよなあ。自分にとって大人になっていくことはもっともっと自由になることで、私が自分の成長を感じたのはノートの右ページだけ書いて次の見開きに飛んでもいいと気づいた時、なんかの解約が出来たとき、去年の梅雨が無理すぎて寝具を買い替えられたとき。

買った本を読まない自由を謳歌するのはそろそろやめにして、早くあれもこれも読んでしまいたい。何に関しても知識がそれを貧しくするということはない。

そういえば私は数年前まで自分の感性にまだ主観的には自信がなくて、だから修士まで進学した(させてもらった)んだった。圧倒的に不足しか感じていなかった。忘れていた。つまり今は自身の感性については、前よりも大丈夫なんだと思う。自信は、自信だけでそこに現れてくれることはなく、やってからの積み重ねで保ち続けようとするものでしかない。あと責任。心からの告知。

インスタで質問募ったら、この人とは何の知り合いなんですか?みたいなのが(答えてないやつがたくさんあるんだよごめん)きて、もしかしたら私は謎に顔が広い文化人(?)として認識されてるのかもしれない……と思ったがまあ冷静に考えて7年くらい活動して好きなものたくさんあれば人とは知り合う。あと知り合いは減らない。知り合いは減らないのだよ。

ただし、リモコンは減る。いま、ファイヤースティックのリモコンも見当たらないしテレビのリモコンもレコーダーのリモコンもなんかどっかいってて、MEG『WEAR I AM』初回盤DVDの映像が一時停止されたままのテレビ画面が、数日間点きっぱなしだ。私が今日も2021年を歪ませている。クーラーのリモコンは2個ある。ちなみにテレビのリモコンは10分探せば絶対に見つかる。それが出来ない。

朝ごはん買ってこようと思ってた。忘れたわ

最後にありえないカメラロール見てください
なんなんこれいっつも


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