『眠る虫』

金子由里奈監督の『眠る虫』を見た。映画館を出たときに、それまで聴こえなかった音が聴こえるようになっていたら、それは本当にいい映画だよね、と思う。音というのは例えばの話だけど。

私は他人が他人に話すほどでもないような個人的なことが一番好きだ、きわめて個人的な感覚が人に伝えるための普遍化との間で葛藤されながら勝って映されるとき、嬉しくてたまらない。
金子由里奈のまなざしはあまりにも敏感か繊細か、っていうか…なんかもはや、平等?バスと植物と人間が等価のように。普通は人間か自分に価値や主体性の比重がぶっちぎるはずなんだけど、何もかもが、聴こえてしまう。

居心地がいいとは言えないバスでの長回し。全員を観察するでもなく、誰に見られているわけでもないけれど、乗客全員への意識が回っている感じ…知ってる。全員のまなざしを見ている自分へのまなざしもあって、大変忙しい。私がバックプリントのお洋服が怖くて着れないのは自意識過剰で他人に自分の見えない背中を見られるのが怖すぎるからである。だから一番後ろの席しか座れないんだよ。人をじろじろ見たいけど無理なので「気にする」をやることになるよね。ところでバスっていうのは落ち着かない乗り物だなと思う。自分で乗らないといけないし(当たり前)、自分で降りないといけないし(当たり前)、しばらく乗るわけでもないことが多いし、気を抜くと降りられないし、混むし狭いし、停車中にしか両替しちゃいけないのほんと怖い。あと東京のバスの乗り方よくわかんなくて怖いから全然乗らない。バスは全然落ち着かない。ブザーみたいな音って本当に不快で、映画でも不快な音がしてよかった。あとピンポンってうるさいよね。

台詞を持っていない「場所」や植物植物植物、岩、風、(あと音)をこんなふうに生き生きと撮れるのは、何なんだろう。幽霊が主題であるからこそ、軍手のような親切なシーンだけでなく、人間以外の事物に宿る霊性が浮かび上がるのかもしれない。場所よ、お前…しっかり演技しとったね。と言いたい。さびれたコンビニも本当いい表情でした。 川も家もよく喋る。

肉のパックを開ける音を、こんなに美しいと思ったことはないし、そんなことに気付ける金子さんは本当に忙しい。世界が緻密に見えまくり。

10月に初めて金子さんとお茶したときに、場所ってやばくないですかって話になって、私の中でそれがめっちゃタイムリーで「場所が私を覚えてるんですよやばくないですか😭」って言ったんだけど、私が場所というものに感じていた云々と呼応するような解釈を見せられて、脳っていうかの心が動きまくったんだけど目しか動かせなかった。場所と音の記憶と記録の方法に濡れたティッシュが笑ってる。私はここにいます。

バスの園児にめっちゃワロタ。

いい映画だったな〜&映画っていいな〜

2019/12/12 2:50

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