修論よりマシなことばかり

撮影用(いつになることやら)のスタイリングを考えていた。私は今までも毎日服を着て生きてきたけれど、コーディネートというものを理解するのにはおよそ25年かかった。遅すぎるということはない。主役級のブラウス、主役級のボトムス、主役級のスカート、主役級のベスト、主役級のワンピースで埋め尽くされたワードローブから新たな正解を導き出すのは至難の技で、本当に楽しい。技術はまだないしよくわかんない。てか今この営為を食材で例えようとしたけど、食についての感覚に自信がなさすぎるので中止しました。

最大公約数、という言葉がやだ。引き算とか割り算とか、妥協すんなよと思う。足せよ。かけろ。私は絶対に足し算を掛け算にして最大値を叩き出してやるからなという気持ちでいる。なんか、誰にも頼まれてない自分のやりたいことで妥協するのって意味不明だと思う。心がけを張り巡らせた方が見応えがあるのは明らか。

だから服に対して「まさかこんなことになるとはね…」とか思いながら出来るだけ大胆に試してみるのだった。出来るだけ表情の幅が狭くならない組み合わせを模索したかった。可愛すぎる組み合わせになると甘すぎて可愛い顔しかできなかったりするもの。ロリータ着てるだけで所作がしなやかになったりするのはそれが服の面白さだとも思うけど、私は服を着て自由になりたいから今日は選べない。

「新しい壁にぶち当たらせてくれ」
「まあ普通にいいけどじゃあグザヴィエドランに見せれんのかって話」
「オシャレだから、何」
「全国…」

そんなことを声で呟きながらまあ候補として写メ撮ってもいいかなみたいなコーディネートを5案ほど構成した。共同制作者のデザイナーに送ってみる。2時間半くらいかな、疲れたな。

ベッドの上に服が盛られて大変なことになっていた。作業通話している友人に合流して片付けた。こういう時、片付けてるのは自分じゃなくて友人だなと思う。誰にも指示や叱咤は受けないまま、リモートで片付けさせられてる。自宅に友人を招くことは滅多にないが、たとえばなんかエアコンの業者が点検に来るから部屋を片付けるその時部屋を片付けているのは自分じゃなくて業者の方だよ。行為者は私だけど、片付けてくれてありがとう。伝えない。

今年は寝具の季節が逆だった。逆季節。いつもは冬のあたたか状態を夏まで保ってしまう。けれど去年は夏にひんやりする寝具を購入したため、私はさっきまでひんやりする敷マットで寝ていた。なんでだよ。ひんやりからもこもこに替えました。夏に色が気に入らなくて捨ててたヒートテックも買い直した(届いた)し、私にやっと冬が来たらしい。aikoだから季節に追いつけない。修論のせいで今がどれだけ寒いのかもわからなくなっていた。

自分にとっては修論に比べれば全てがマシで笑ってしまう。楽しい仕事に時間が使えて最高。早くこういうことで悩みたかった。スタイリング考えるの疲れたけどさ、まず、一晩で終わるかもしれないことという時点で楽勝なのだ。なんだよ2時間半って。3年かかってギリギリ提出したっつーの。この調子で何でも乗り切っていきたい。

やることありすぎて毎日何もおわんないwという、私の正常な状態に復帰した。いつも通りになった。

関係ないけど今日は夕方一瞬かなり落ち込んだあと全てが解決される出来事が起きてしまい「毎回こんなに結局は最悪の事態に陥らない人生でいいのかよ」と思いました。いいよ!

峠を越えた人の日記


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