見出し画像

78回目の原爆の日。わたしは歴史を知りたい。

わたしの故郷、長崎。

子供の頃、学校の夏休みの登校日は8月9日と決まっていました。
全校生徒が集まって、11時2分に黙祷を捧げる。

長崎では街中に黙祷のサイレンが鳴るのが当たり前だったけれど、
県外に出てサイレンが鳴らなくなっても体に染み付いているのかこの日が来るとつい原爆の日について考えてしまいます。

平和学習が苦手でした。
被爆者や戦争を経験した方の話を聞くとイメージが頭に浮かんできて怖かった。
原爆資料館は薄暗くて、写真や展示物を直視できなくてとっても恐ろしい場所だと感じていました。

そして徐々に感じる違和感。
戦争は悪、戦争は駄目。やっちゃいけない。
平和を宣言しよう。
毎回、平和学習の結論はそこに行き着く。
もちろんこんな悲惨な出来事は二度と起こらないでほしい。
だけど、どことなく被害者という立ち位置で学んでいることになんか違う気がすると思うようになりました。

本当にそうなの?
加害者と被害者は綺麗にきっぱり分けられるんだろうか?
これはこれ。あれはあれ。と線引きできない。
わたしは一方方向でしか歴史を見ていないんじゃないか?
知らない、分からないはただの逃げなんじゃないのか?

知りたい。入り口はひとつじゃないよ。
歴史にはいろんな視点があること。
それは国によっても、人の価値観によっても違うこと。
だからこそ歴史を知る必要があるし、今知りたい気持ちがふつふつと湧いてきています。
歴史を知る入口は一つではなくいくつもあって、自分の興味関心に刺さる部分から入り込むと知りたい欲が掻き立てられる。
そこからわたしは何を感じ、どんな想いを抱くのか?

毎年夏の時期になると思い出す祖母の話。
原爆が投下された日、祖母は長崎市中心部に向かっていたそうです。
急にお腹が痛くなってしまって家に引き返したらしい。
毎回この話を面白おかしく話してくれました。
だけどもし。あのまま向かっていたら・・と思うと母も私もこの世に生まれていません。

わたしにとって平和学習は与えられることばかりで自分から知ろうとはしませんでした。
だって興味がなかったから。
怖くて考えたくないことだったから逃げてた。

何の意味もないと当時は思っていたけれど
こうやって、何をやっていても毎年のように原爆の日を思い出す。
同時に祖母の話も思い出す。
「思い出す」ということは意味はあったんだと思う。

長崎に生まれ育ち、あの場所で体験者の声を聞くことができたのはとても価値のある経験でした。

歴史を知る。現実を知る。
今同じ世界で起きていることにもっと目を向けよう。
長崎原爆の日に感じたことをつらつらと綴ってみました。

それでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?