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参加報告:京大100人論文2020 今年は9月15日から!

今年2021年の『京大100人論文』が今月9月15日から開催されます。主催は京都大学学際融合教育研究推進センターです。
そのお誘いも兼ねて、昨年2020年12月11日から15日に開催された『京大100人論文2020:オンライン全国拡大版』の参加報告を記します。

前半はラジオ放送の動画視聴メモです。印象に残ったお話の文字起こしとそれに対する私のコメントです。文字起こしが大半です。私のコメントは矢印「→」の後に地の文で続きます。
後半は感想です。今から振り返って私にとっての『京大100人論文2020』の意義を語ります。
今年のイベントへのお誘いは本文の末尾に書いています。


Miro内特設サイト『京大100人論文2020会場』(アーカイブ)



ライブトーク # 1
自由に繋がる、分野を越えることを超えて縦横無尽に広がる

深い所では繋がっているような共通しているような期待を持っている

重要なのは長い、複数集団が関わることをどれだけ
より面白い、分野が違っても戦わせる

インターネット 偶発的な事故、仕掛ける

混ぜる 本当の意味でできているか、かなり意識して行わないと


ナイトトーク
分野を越える、空間を超えて人が集まれる

匿名、番号で呼び合う、他流試合、入り乱れ
顔を伏せて議論できる、オンラインならでは

「~、結局こうなんだよね」の「こう」を言っても分からない

リアルよりもウェブの方が絡みやすい
「地方」にいるのでこういう取り組みはありがたい」「念願」
匿名、肉体から離れることでどんな化学反応が
→フェイクニュースなどインターネットの負の面ばかりが指摘されるが、むしろ私たちはまだインターネットの潜在能力を十分に活かせていないのではないか。インターネットでできることはもっとたくさんあるのではないか。

京大、リアル、人が集まらない
全国に拡げたらオープンマインド、フットワークの軽い人
100人論文はオンラインの方が、本来
コロナがなかったらオンラインでやってなかった、リアル至上主義

ここでやり取りするのも可能性を感じる
ライブで感想を書ける


ライブトーク # 2
こうあるべしに対して「なんで?」
「専門を持たない『弘学』」(田所昌幸さん)

いろいろな人が議論に参加できる

高等教育は大学というフレームワークじゃなくてもいいんじゃないか
経団連 大学教育に期待していない
企業も教育能力を失っている、学歴だけじゃなく社会全体の教育力
→既存の大学に囚われず『無門大学』で自由に学問する。無門大学で分野を越えた学びの機会を広く得られるようにすると共に、創造性を養う教育も実践し、社会全体の教育力を高めていく。
→『弘学革命』が研究の取り組みなら、『無門大学』は教育の取り組みだ。『弘学革命』と『無門大学』に二枚看板で打ち出していこう。

大学は先生が学問を教えてくれる所ではなく先生と学生が一緒に考える所
答えは分からんけど面白かったら一緒に面白がってやる

学問をやっている人ではなくても興味を持ってくれた が
そういう機会があるかないか、道が開けるか

知ることは楽しい、それを他人と共有したい
それを体験させていない、欠けている
→受験競争なんてやめて学び合った方が知ることを楽しめるだろう。

→思い返してみれば、初めて『弘学』を書いた頃の問題意識は日本の大学で弘学教育が行われていないということだった。弘学教育がまだ存在しないなら、自分で作ってしまえばいい。他人を変えようとするよりも自分がなりたい自分に変わればいい。


クロストーク # 1
このイベントに参加する人は一定のフィルターを超えている
異分野に対する敬聴、対話の方法、構え

最後に人間がやる部分は創造、初めてのことを

ポランニーが言う「閃きはあっちから訪れる」の「あっち」




ライブトーク # 4
この人たち こんな面白いことやっているのに伝わっていない
彼らの辞書の中の言葉だけで話す
専門家≠知識人 広く知って その中で自分はこれを

付箋とピアレビュー 査読の違いは?
皆でこの分野を守ろう 真面目
論文の数、量で測る 分からないものも
論文のお作法についてのいちゃもんになっている
「この文献を引用してない」「このグラフから」 論理整合性

コロナ 生命科学だけでなく理工学 人文社会科学が協力
多くの科学者が協力、国民にエビデンス、学術会議に意義
コロナ 誰でも自分事、理系の学会から人文・社会科学とも協働
100人論文もまさにこのことをやっている、横断が今大事
→弘学者もコロナの文脈でなら今性を持つのか。


ライブトーク # 5
大学との連携で成果物をどこまで求める
人材育成や人脈も成果
→無門大学も学問的成果だけでなく人を育てることや人を繋げることも目標だ。


ライブトーク # 6
新しく創発的研究支援事業

高校生 どう主体性?上から言っても響かない
仕事観 家庭が8割 かっこいい大人たちが見せる
暮らし 自分の周りにロールモデルがいるか
ネットで情報は↔自分の周りで生でどこにあるのか?
→ネットでも憧れを見つけることはできると思う(例:私→「論理的分子設計」)。憧れを抱くには当たり障りのない一般向けの宣伝ではなく具体的に現場で行われている仕事とか活動を見えるようにしておくことではないか。無門大学で学問の現場、研究の過程を見えるようにすることも学問に憧れを抱く若者を増やす一助となるだろう。

学振取ると研究者になることが大前提に、
研究者になることを悩み始めて闇の道に
間口を広くすることは研究者の方を生き生きとさせる
→無門大学も研究者の間口を広くする試みだ。


クロストーク # 3
書き方失敗 ×「俺は火山研究者だ」 ○「こんなテーマがあるよ」

「何でも自由」↔「これは地理学じゃない」
ほんとだったらもっとコラボできるのに、手続き、分野の専門性
新しいほんとの意味での学際的なことに対する壁がある

予測することと予測したことをどう乗り越えるか、面白く、楽しく
悲観するより面白く乗り越えられる、「持続可能」 悲しいことが起こる
基本ふざけていたい、笑い飛ばしたい、禅の構え
九州が火山灰に埋まる、太陽風、コロナも面白い


クロージングトーク
研究、SNS、ウェブ上で付箋を貼り残す、相性の良さ

コロナが無かったらオンラインでやってなかったけど、
100人論文 オンラインにぴったり

同じ空間にいる感、ラジオと相性が良い、聴きながら見る
→Miro 空間 + ラジオ 時間 を共有できたのか。

この場所がどれ位研究者の人にとって貴重、待望感
こんな自由に人の何かに対して言えることがない
何も背負っていない感でしゃべるのがこんなに楽しいとは
匿名だから、背負うものがないと研究者はもっと楽しいことを言える
断言でいいので書きたいことを書いてくれてる
何から自由?責任?肩書き?
何から自由になったらもっと自由に対話できる?
平等性、匿名だから、博士課程だから教えねば
コロナで話す場所がないからこういう場が
→肩書きや専門性による上下関係がないからだろう。権威主義が排されている。匿名だから相手が教授だからなどと気を遣う必要がない。多くの分野が入り乱れているから専門家と非専門家という主従関係も成立しない。隣の論文のエリアに出ればたちまち専門家と非専門家の立場が逆転するのでは偉ぶっていても仕方ない。自分が属する専門家集団では権威を崇められている人もここでは100人の中の1人でしかない。

マウスが出会って動いている、Miro全体が何かに向かって動いている生き物っぽい
それがユニバースっぽい学問

己の興味関心を磨く場がないと、主戦場 分野を越えて興味関心を磨かないと

絶対通じる、ちゃんと「俺は普遍か?」

学際センターが宮野さんの一人商店、どう脱するか?
今回の仕組み、場でちゃんと呼べる、空間で議論が起きる
宮野さんっぽい人が好きくない人をどう呼ぶか
独人化させ過ぎない、宮野さんの生き方が絡んでくる
ステートメントを細かく、簡単にグチを言い合う場に
親和性がある人と繋がっていく
この方向性、皆が対話することの重大性に気付いた
こういう方に関わって来年以降も進めていく
誰とやるかが大事
糸井重里、株式会社に、いなくなったらどうなるかという問い、ここまで考えていた
システム化、プラットホーム
誰かに任せた方がいい、見てる人の中から、宮野道場
人を育てる、後進を育てる、「俺とお前いい方」 全員辞めた
学際センター 組織化
インターネット的自治、学際センターのプラットホームを拡張
学際をやろうとするとこと

研究者じゃない人もOK、でも学問
学問、なぜその課題があるのか、解決するとはどういうことか
経緯、歴史、普遍性、学問の相
何とかせなあかん系、切実な問い、来年は
なぜ何とかせなあかんことになっているのか?土台の思想に焦点

分野でラベル付けはしない、融合している

皆のもの感 or ここに共通する人に特化?
無印的 or 宮野さんのプレファレンスで弾く?
マインド的な自治、そういうものを信じられない世界
「研究者全員でWikipedia作ろうぜ」 ソーカル事件
これ以上拡げていくと何かが壊れるのか
拡げていくのか、村的、宮野さんの世界で戦う?
そこに対話、戦い、討論はない、それはのっぺり
良識を感じた、なぜ生まれたか?どう育てるか?

100人のボリューム感、分科会をスピンオフで
異分野交流会に目を付けた人を呼んでくる

いかに自分の専門は一側面か、全ては記述できない
いかに自分は小さいか、知の総体における一つの片
こんないろんな視点があるんだ、こんないろんな分野も業種も越えていろいろ言ってもらえるんだ、アンラーニング

大人のインターンシップ、研究者バージョン
『学内留学』、20人をお互いの研究室に徹底的に出入りする
応接間ではなく教員が学生を指導、カメラで見る
→私も5年前に『弘学』を書いた頃に弘学者の経験を積む方法として、研究生になって研究室に入って3ヶ月毎に次の研究室に移り、5年間で20分野の研究室を回るという案を検討した。しかし、学費が普通に大学院に行くより高くなるし、それ以上に問題となるのは秘密主義が常識の現状では入って3ヶ月で出て他の研究室に行くなどという者は入れてもらえないのではないかという点だった。結局、その案は却下となり、独学で広い分野を学ぶことにした。

100人論文 今回、京大に収まっていない、学問界全体の福祉、ガス抜き的な所も
京大っていう枠に収まらないでどう学際センターを運営

社団法人を立ち上げる、シャバを知るために、もう一回生まれる、ペーペーから始める
山崎正和さんもサントリー文化財団 47歳 32歳でこの境地、勘弁して

久々にインターネットの可能性
宮野さんの可能性、コンサル
「京大」っていうのはどうか?本当は学術会議が
山極さん「本当に期待しているしな、頼むぞ」
宮野さんの法人がちゃんとした学術会議になる
30年後に利権になってたら笑える、観客にもご指導を
オルタナティブなものが求められている

→無印的なことは無門大学でやれば良いので、学際センターは拡げるために薄めるべきではないと思う。学際センターは学際的な取り組みの中心的な組織として、学際的なことに関心を持つ個人を呼び寄せ、繋げる役割を担えば良い。そうやって学際センターの周りに集まった個人が互いに繋がって層を形成し、そのような個人からさらに学際的な活動を拡げていけば良いのではないか。無門大学もそのような活動の一環だ。

→100人論文は学際的なことに関心を持つ個人が集まる場、プラットホームとなり、そこで個人同士が互いに繋がる機会を作ってくれる。そして、個人がゆるい繋がりから緊密な繋がりへと発展させたいと思った時に京大、学際センターという信頼できる組織が運営するコンタクトシステムを使ってマッチングする。個人が組織を介して互いに繋がる際に、100人論文は組織と個人の間のインターフェースとして機能を果たしてくれる。学際センターはハブとなってほしい。

→無門大学を掲げても、フォロワーが増えない現状ではどう広めるべきか?
→研究のアイデアは価値がすぐには判断できないが、学びは恩恵を実感しやすい。学術たんや教育系VTuberもフォロワーは多い。私が無門大学で教えられることと言えば、弘学の方法論と創造的思考法か。私はアイデアを出すことが得意だから、アイデアを共有すると共にアイデアの出し方を教授しよう。創造性を育てるのは社会的課題であるし、弘学者・科学者の育成は弘学革命の推進の目的にも適う。

→『弘学革命』=研究と『無門大学』=教育の二枚看板で打ち出していこう。

→大学に「弘学部」という部局を設けても組織の論理で統合を実現できないのかもしれない。弘学はむしろ『無門大学』という超大学的な学派でこそ学問や社会の統合を実現できるのかもしれない。

→論文主義よりも競争主義の方が本質にある問題だ。

→誰が先に論文にしたかで競争するよりネット上で皆で議論して真理に近付いていく方が絶対面白いと思うのだ。

京大100人論文2020(オンライン版)のコンセプト
→「論文どれだけ書いたかではなく何を書いたかで評価」「される(社会)」ではなくて『する(自分)』になれば良い。研究者自身が学術誌の名前ではなく研究の内容で業績を評価し人事を決めることが理想なら、まず自分がそのようにして他人の研究内容を評価するようにすれば良いのだ。
世界を変えるためにまず自分が変わる。自分の周りの半径1メートルの世界をまず自分の望む世界に変える。自分の生きたい世界をまず自分が生きてみる。自分がまず理想とする世界の住人となり、それから人を呼び込む。


感想:2021年9月7日
以前から京都大学学際融合教育研究推進センターの取り組みに関心を持っていて、『京大100人論文』についても参加したいと思っていましたが、富山からでは難しかったです。2020年はオンラインで開催されるということで、研究テーマ掲示者として初参加しました。
『京大100人論文2020』に参加した目的は、私が目指している異分野統合による科学革命『弘学革命』の実現に向けて、研究者の方々に取り組みを広報、普及し、協力して研究を進めてくれる人を増やすことでした。その目的は結局果たされず、私のTwitterアカウントなどでの研究発信には相変わらずほぼ反響がないままでした。
しかし、このイベントでは私の研究テーマにもたくさんコメントを頂くことができ、普段、個人でTwitterで研究発信している時には全くと言っても良いほどなかった『自分の発した言葉に対する他者の応答の言葉』を得られて、すごく嬉しかったです。組織として果敢かつ精力的に活動している学際センターの力の恩恵を受けて、一個人の私は今までほとんど出会えなかった真摯な『他者の言葉』と邂逅し、私の思いに共感してくれる人もどこかに何人もいるのだと知りました。
振り返ってみると、2018年末から2020年初めまでの1年余り、頑張って研究発信を続けてきましたが、弘学革命が始まる気配はありませんでした。特に、2019年末に物理学論文を無料公開するために相当睡眠時間を削って作業をしたのに全く反応はなく、その後も転載・紹介を続けても状況が変わらず、私は徒労感と焦燥感で参っていました。2020年は新型コロナウイルス感染症が流行り出したこともあり、私は不安とストレスの中、思う様に学究を進められなくなり、他者とも度々衝突し、ウェブサイトの更新もゼロとなってしまいました。
しかし、2021年は打って変わって、年始から今に至るまで研究発信も活動的に実践できていて、アイデアも多産な時期を過ごしています。今にして思えば、それは前年末の2020年12月に『京大100人論文2020:オンライン全国拡大版』に参加し、たくさんの『他者の言葉』を受け取って、私の心に多量のエネルギーが充電されたことが始まりだったようです。それ以降、何か心に余裕が出来て、他者を批判するよりも自分の発信活動に集中しやすくなった気がしていました。自分の言葉に対して他者に言葉で応えてもらえることの大きさを最近知るようになり、その始まりが『京大100人論文2020』であったのだと振り返ってみて気付きました。
私は在野研究者、アマチュア研究者としての可能性を追究していて、『万人の科学』を実現することを目標にしています。そのために、専門家だけのルールで運営されている学術論文誌ではなく、市民の誰もが自由に利用できるTwitterなどのSNSの場で研究発信を続けています。しかし、プロの研究者とは異なる研究発信の手段を採用しているためか、他の研究者に自分の研究内容を見てもらえず、ほとんど誰にもコメントをしてもらえず、普及が進まない状況が続いていました。
そのような在野研究者、アマチュア研究者の私にとって誰でも研究テーマを掲示できる『京大100人論文2020:オンライン全国拡大版』は他の研究者に学問探究の取り組みを見てもらい、コメントしてもらえるとても貴重な機会となりました。個人の研究者が必要としながらも到底不可能な『場を創る』という難事を学際センターという組織が実現してくれて非常にありがたかったです。まだ研究普及が進むまでには至っていませんが、今年2021年のイベントにも参加して、弘学革命と無門大学の取り組みを広められるように力を尽くしたいです。この『京大100人論文』も含め、学際センターの取り組みがさらに発展していくことを異分野統合に取り組む弘学者として心から願っています。


お誘い:『京大100人論文2021』は9月15日から!
今年2021年の『京大100人論文2021:オンライン拡大版』は今月9月15日(水)から19日(日)の5日間、Miroの会場で開催されます。

研究テーマの掲示者の申し込みの締め切りは9月8日(水)です。大学に所属していない方も研究テーマの掲示を申し込めます。
私も昨年に引き続き今年も研究テーマを申し込みました。今回は二つの研究テーマを申請しました。
昨年にも増して百家聡明して議論百×百出して百科繚爛のイベントとなることを期待しています。

閲覧&コメントは誰でも可能です。Miro内特設サイトに掲示されたポスターに付箋紙を貼って著者や他の読者と対話できます。
バーチャルホワイトボードMiroの操作は簡単ですぐに慣れてしまいます。新しい使い方も生まれるかもしれません。
イベント開催中に実施されるラジオ放送もきっと熱いものになるでしょう。特に学際的な取り組みに興味のある方は学びも多いはずです。

皆様もMiroのバーチャル会場とラジオ放送の5日間で分野も地域も世代も所属も立場も超えた自由で知的に楽しい学問時空間を共有してみませんか?