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『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』を観終わって 【Part2:未公開部分を観て感じた事】

昨年9月に公開済みのドキュメンタリー本編については下記のPart1にて記述しているので、今回はあまり触れず、どちらかというと考察よりも欅坂へのメッセージ的要素が多い内容となっています。

はじめに

まず本題に入る前に、発売数日前に公開された予告編について触れておきたい。予告編ではホニョとダンサーとの一幕であったりメンバー達の意味深な発言があったりと、非常に購買意欲をそそるものであった。序盤の未公開インタビュー部分について、個人的な思い込みから見事に一本取られた一方で、現代の悪意のある報道の仕方に似ている文句を言いたくなった。
例えばリシャシャの「そういう運命だったのかなぁ...」、ユィの「気持ちの差を感じて少し孤独...」、フゥの「あの友香が人じゃないみたい」など、予告編を観た限り直近2年の話関連であるとは思いきや、実際は初期の話についてであったため、思い込みで物事を判断してはいけないと反省したと同時に、映像の一部分だけ切り取られて誘導されるのはこういう事であると思い知らされた。そして制作陣の皆様、一本取られました、(`・д・)σ メッ!
それでは本題に入っていきたいと思う。

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「事実」を見せ、見る者に判断を委ねたOUTTAKE

様々な事情を抱えた一期生達
まずOUTTAKE序盤は、デビュー当時から自分自身と葛藤していた長濱ねるや、休業から復帰するも自身の居場所が分からなくなり不安を口にしていた今泉佑唯など、それぞれ数分ずつのカットではあったが、彼女たちを知ってる者達にとっては長く心温まるシーンだったと感じた。更に、ユッカーの個人練習の様子や、アオタンの楽屋訪問など、地味なシーンではあるがファンが観たかった要素であった。その他のシーンも、二期生加入や選抜制に対しての一期生の赤裸々な気持ちなど、欅坂が無くなった今だからこそ公開出来る内容が多く、観ている側も事実として確かに受け止められた。もちろん、平手友梨奈の表情も所々で映し出されていたが、本編ではあまり語られなかった部分が多かったのではないだろうか。

常に誰かのそばいた二期生達
後半に入ると、二期生が多く映されるようになった。もはや言うまでもないが、二期生の9人は欅坂にとってプラスとなり起爆剤となった存在なのは、紛れもない真実であることは誰もが認めることなのではないか。外からは、ただの突然加入した無邪気で無頓着に見える少女達に見えるが、それぞれが「欅」に対して熱い想いを持っており、その「欅」という文字を自分達が汚さないよう、必死で先輩の背中を追いかけ、ひたむきに練習を重ね、失敗しては何度も何度も反省し、自身に対しては厳しく是正し、周りに対しては思いやり、仲間同士で励まし合い、何よりもどんな”状況”に対しても明るく振舞っているあの姿を見ると、本当に笑顔になる。考え過ぎかもしれないが、カメラを向けられている時、カリン&ホニョ、マツリ&ルン&チュケなど、二期生たちは毎回の様に数人揃って映っていたのは、彼女たちが作るその明るい雰囲気をカメラマンも撮っていて和むものだったのではないだろうか。

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2020年1月の脱退シーンに至るまで
OUTTAKEの一番の見どころは、2019年のドームツアーから10プMV収録を挟み、紅白からのメンバー脱退ミーティングまでの流れだろう。まず、ツアーの時にホニョがダンサーに駆け寄るシーンは心を打たすぎて心臓の鼓動が止まらなかった(ここは分かって欲しい)。推しという事もあるが、メンバーとスタッフとの一幕はファンとしては非常に微笑ましい瞬間であった。その他ドームツアーでの各メンバーや設営スタッフの様子など、ツアー裏を見た気になった。続いて二期生センターverの10プMV撮影の様子は、初々しさもありつつ、各メンバーが真剣に取り組んでいる姿が見られた。10プ自体については前回も触れたが、メンバー達の努力と頑張りを非情に踏みにじった事実は、本作品の数少ない「真実」の部分である。

紅白後の平手友梨奈とメンバー1人ずつ抱き合い、耳元で脱退を告げるシーンには心を打たれた。表情を一切変えないメンバー、背中を撫でるメンバー、抱き合う前から涙するメンバー、突然の告白で泣き崩れるメンバー。それぞれの彼女に対する思いが垣間見えた瞬間であった。元旦直前に告げるというのは、少し残酷だったのかもしれない。

そしてその10日後、改めて「平手、織田、鈴本...が欅坂から脱退」という事を正式に告げられた。

運命の瞬間

改名発表を迎えた日、全員が笑顔を見せてる円陣すら久しぶりだったかもしれない。ユイポンが笑顔を見せてるのは、本作品で初めてだったのではないか。それだけでも、個人的には満足だった。

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「事実」は、真にすることも、嘘にすることも出来る
映画本編はドラマチックに描かれており、「欅坂46」という「ブランドの運命」を「ファン以外も含めた大衆」に向けて、ライブ映像を織り交ぜながら過去5年の歴史を振り返っていたのに対し、OUTTAKEはメンバー達の様子や心情を当時のまま見せ、「欅」という「グループの成長と軌跡」を「ファン」に向けて届けようと、なにか懐かしい思い出話のように描いてたのではないだろうか。そのうえで、OUTTAKEは真偽を追求するもので無いと感じた。本編の様に感情の起伏を多く取り入れ、見応えのあるような”ドキュメンタリー作品”にするのではなく、ただ淡々と5年間を振り返っていた”ドキュメンタリー”であった。

変に手を加えてあればあるほど、真偽を見極めたくなり、我が物顔で全てを判断した気になる。自分が信じていたことが間違っていなかったと正当化するために、立場次第で、擁護する側に回ったり、批判する側に回ったりすることも出来る。OUTTAKEではそれが無かった。いや、それが出来なかった。ただ「事実」を並べ続け、キャプテンのユッカー、副キャプテンのアカネンの笑顔と一礼で欅坂という5年間は幕を閉じた。

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欅坂としての5年間

おそらく、今後欅坂に関する事はあまり世の中に出なくなるだろう。サイマジョ等の代表的な楽曲たちがテレビや街中で流れる事はあるとは思うが、それ以外ではもう「欅」の文字さえ見なくなるだろう。「元欅坂46の○○」という肩書もなくなり、多くの人の記憶から時間と共に消えていくだろう。

先輩の乃木坂やAKB等、他のアイドルグループに比べ、叩かれ中傷され、笑わないというレッテルをいつのまにか貼られボロボロだった欅坂が、5年間も続いた理由は何だったのだろうか。楽曲が世間に抗うようなメッセージを持っていたのもあるだろう。平手友梨奈という天才がセンターに立っていたからと思う者もいるかもしれない。確かにこれらは理由の中に入るだろう。しかし自分は、もう一点、ここに書き残しておきたい。それは、本作品で個々のシーンがあまり映し出されなかった、残りのメンバー達だ。

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本作品全体を通してまず記憶に残るのは、平手友梨奈の頑張りや周りからのの期待など、欅坂にとって尊く、愛された存在であったことだ。運営スタッフやメンバーが彼女の事について言及するシーンも多く見られた。だが彼女が実際に語るシーンは初期のみのため、彼女がどのような思いを抱えていたのか、脱退までの「真実」すら明かされず、それをあえて掘り起こす必要もない。OUTTAKEでは、彼女を始め、去ったメンバーや悩み事があったメンバー達に時間が割かれていた。ドキュメンタリーを作るうえで大事なピースでもあり、個々の成長の事実を見れたことに感謝している。さらに個人のインタビュー映像でも多くのメンバーの考えを直接聴けたことは、非常に嬉しかった。しかし、本作品で取り上げられたメンバー達以外は、個人のシーンも与えられず、まるで欅坂にとって小さな存在であったように扱われていた。

映し出されなかった、他のメンバー達
多くが感じていたと思うが、本編では全く取り上げられないメンバー達が多くいた。だからこそ、むしろOUTTAKEでは普段の練習風景や楽屋の様子など、何気ないメンバー達の映像を期待していたくらい、メンバー全員の表情を見たかった。あったのはツアーに取り組む様子ぐらいだろうか。だからこそ、その数少ないシーンについて語りたい。

OUTTAKEでは、平手友梨奈が練習に出れない旨が伝えらるシーンが何回かあった。毎回、メンバー達は驚きの表情すらなく、冷静にその知らせを聞いていた様子が見えた。一連の脱退までの流れを見ると、彼女が限界だったことは間接的に伝わってきた。彼女に感情移入して涙した者もいるのではないだろうか。ただここで、視点を変えて、平手友梨奈が来ないと伝えられたメンバー側に感情移入して欲しい。彼女たちがどんな思いだったのか、少しだけ考えて欲しい。

何回あっただろうか、「万が一のために平手無しの振り付け練習をします」というシーンが流れ、次のシーンではいつの間にか本番の様子という展開が。例えば欅共和国のシーン、6月29日のスタジオ練習で彼女がいない時のための練習をしましょうと一方的に伝えらえた。次のシーンでは7月4日の現地リハーサルになっていた。その間の5日間、一から別の振り付けを覚えるために、文句も言わずに練習したのではないだろうか。無駄になると分かっていても。それでも、彼女が戻ってきてセンターに入り、メンバー達は何事もなかったかのように完璧にパフォーマンスを届けていた。本番前後も自身よりも彼女の傍に寄り添い、支えとなっていた。共和国直後、彼女だけが椅子に座り、メンバー達は地面に座り彼女を囲んでいたのは何よりも印象的だった。

欅坂の「トンネル」と「欠片」

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ユッカーが表現していた「トンネル」について考えてみよう。突貫して作られた物理的な「トンネル」ではなく、単純な半円柱状の物をイメージして欲しい。もちろん「トンネル」の意味でも、頑丈で頼りがいのある存在でなくてはならない。完成して間もない「トンネル」を、試験的にまず歩くのが欅坂の彼女達、というなシチュエーションとしよう。そして「欠片」についてだが、二つの事を意味している。まず一つ目は、周囲から投げつけられた言葉の暴力による「欠片」である。外側が欠けるというイメージである。社会に歯向かう生意気者の様な見られ方もあったからこそ、小さなひびが見えれば、それに目がけて粗石が容赦なく投げつけられ破片が散らばった。この「欠片」については、想像がつくだろう。

一方でもう一つ目は、メンバーの休業や離脱により空いてしまった大きな「欠片」である。「トンネル」内部から欠けてしまうというイメージである。ダンスのフォーメーションの覚えなおしやユニット曲の再編成のように、運営上必要な再整備が増えてしまう。グループであるからこその使命でもあるため避けられない事ではあるが、その度に精神的に来るものがあるのは確かだ。さらに、いないメンバーを彷彿とさせないため細心の注意を払って行動するが必要になるような、心理的な制約も増えてしまう。

2020年2月、「欅って、書けない」の二期生バレンタイン企画を思い出して欲しい。本命1個、義理3個を二期生は一期生に渡せる設定で、放送内で明かされた本命メンバーは9人中5人であった。残りの4人については紹介もされなかった。既に卒業していたメンバーにその4人は本命を渡していたという憶測が飛び交ったが、仮にそれが事実であってもカットされないといけない事なのだろうか。極論、カットされないためには、グループ内での事はなるべく避け、代わりに自虐的場当たり的な事を発していくしかなくなってしまう。グループの事を思い、自己主張は出来ず、精神的にストレスとなる。パフォーマンスの方では、”元○○”や”代理○○”として、前にいたメンバーとの比較対象にさせられ批評される。個人的な意見ではあるが「○○の表情にそっくり」のような感想や写真比較は大嫌いである。

「トンネル」とは一体何だったのか
その結果、改名発表時にユッカーが言及した欅坂の「出口の見えないトンネルを彷徨っていたような状態」になってしまったのではないだろうか。そもそも、どんなに暗く長いトンネルでも、一方に向かって歩き続けると必ず「出口」にたどり着く。本望ではない「出口」であるかもしれないが、暗い中に居続けるよりはマシである。道のりは長いかもしれないが、方向さえ保てば見えてくるものはある。だからこそ、欅坂が「彷徨っていた」のは、「出口が構造上見えないトンネル」ではなく、「出口の方向がわからないトンネル」だったのではないか。

欅坂はデビュー時に完成した「トンネル」を5年前、歩き始めた。立派な存在であると証明するためにも、内部を確かめながら進んでいった。「欠片」を埋めるために、全員で立ち止まっては引き返し、再び前に歩き出す事を何度も繰り返していた。しかしこの頻度が増えるにつれ、欅坂はいつのまにか「彷徨って」しまった。どこから引き返したのか、どの方向に向かえばいいのか、それを確認する余裕もないほど欅坂の中は痛々しい程「欠片」に溢れていた。

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最後に

本編、OUTTAKEを観終わって、欅坂から最後のお別れを告げられたような気持ちになった。欅坂が先に「ありがとう」と言い残し後ろを向き、我々観てる側は感謝を伝える間もなく、欅色の大きな背中がいつの間にか遠くに見えていた。最後まで、「欅坂46」だった。

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王道のアイドルグループ路線とは正反対の、今までに存在しなかったようなグループを進んでいった異端児的存在だったからこその運命だったのかもしれない。無我夢中に挑戦し続けたからこそ、正統派として華々しい道を進まなかったからこそ、彼女達だけに見えた景色は必ずあったとはずだ。
櫻坂のアカネンが言っていた。

絶対欅坂は、超えてみせます。

是非とも超えてみてほしい。
ホニョホニョ

画像引用元:
https://www.youtube.com/watch?v=TJapt3yvH_g
https://www.youtube.com/watch?v=2d0aREJwL7A


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