俺は弱い。
前回の記事で、自分はとてもひどい発言をしていた。
楽しくもないのに楽しいふりをしていたとか、同調圧力に屈するようになっていたとか。
普段一緒にいてくれた人たちからしたら、「一緒にいて楽しくなかった」とか「嫌々ながら一緒にいた」とか言われているようなものだ。
そんなことを言われて気分が良い人なんているはずがない。
それは前回の記事を書いている時点でわかっていた。
しかし、わかっていても書くのをやめられなかった。
今回はそんな話から始めていこうと思う。
良い子は良いとは限らない
人の気分を害するとわかっていながら、なぜそのような発言をしたのか。
まずは問題を明確にすることからはじめよう。
そもそもの問題は何だったかというと、最近の自分が良い子すぎたということだ。
前提としてここ最近の状況を整理すると、とあるコミュニティに参加したことでこれまでの人生では考えられないほどに目まぐるしく新しい人とのつながりが生まれる状況だった。
それ自体はとても良いことだし、自分としても新しいつながりが増えていくのは楽しかった。
しかし、これまで積極的に新しい人と関わる機会を持ってこなかったからか、最近仲良くなった人たちの前で素の自分を出すタイミングがわからなかった。
その結果、どこまでいっても初対面のままの良い子を演じ続けるハメになっていた。
心の中ではf**kと思いながら、笑顔で「そんなことないですよ〜」なんて言っている状態だ。(もちろん本気でf**kと思っているわけじゃない。そういうリアクションをとりたい場面ということだ。)
本音と建前がうらはらな状態が続くとどうしても無理をすることになり、いずれは耐えられなくなるときがやってくる。
そしてそれはついに訪れた。
ナイトハイクでのできごと
それはある夜、コミュニティで仲良くなった人たちとナイトハイクをしたときのこと。
出発して数歩歩いた時点で、すでに自分が相当な無理をしていることに気がついた。
普段はなるべくセーブしていたけど、その日は3日連続でコミュニティに顔を出していたうえに1日中いたので、ナイトハイクが始まる頃にはもう限界に近づいていたようだ。
しかし、ナイトハイクは以前から楽しみにしていたし、出発してすぐに帰って雰囲気を壊したら悪いという思いもあり、そのまま行くことにした。
ひとまず積極的に発言しないようにしていればボロは出ないだろうと思っていたが、それは甘い考えだった。
発言どころか相槌すら打てず、人と会話する気力というものが完全に枯渇していた。
もはや会話に参加しているふりをすることすら辛かった。
無反応でその場に居続けるのも申し訳なかったので、仕方なく距離を置いて一人で歩くことにした。
周りからしてみれば急にどうしたって感じだっただろう。
あまり触れないようにしているみたいだったが、気にかけてくれてたまに話しかけたりしてくれた。
しかし、せっかく話しかけてくれたのにこちらはまともに会話ができず、それがさらに申し訳なくて辛かった。
そういったやりとりが何度か行われると、こちらは積極的に会話する気がないことに気づき始め、みんなはこちらをあまり気にしなくなった。
そんな状況でみんなの姿を後ろから眺めていたら、ふとこんな考えが浮かんできた。
自分はここにいる必要があるんだろうか。
みんな自分がいなくても楽しんでいるし、その状況は自分がいなくても成り立っているということに気づいたとき、もはやその考えを否定する気は全く起きなかった。
そうして、その後の宴を前に自分は帰ることにした。
ごめんなさい
そんなできごとがあった次の日に書いたのが前回の記事だった。
たとえ周りに受け入れられなくても、自分を貫き通せる人間になろうというテーマで書いたつもりだった。
しかし、今読み返してみると、なんて稚拙な内容なのだろう。
人の輪にうまく入れなかったから、周りを貶めて一人を是とし、自分の殻に閉じこもろうとしているだけだ。
今回の記事では、前回の記事のひどい発言にさも深い真意があったかのように書こうと思っていたが、それらの発言を正当化することは周りの人たちへの礼節をあまりにも欠いた行為なのでやめることにする。
一緒にいてくれたみなさん、本当にごめんなさい。
弱さを認めるのも悪くない
前回の記事の内容自体はただの稚拙な感情の発露であってそこに込められた深い意味なんてなかったけど、記事を書き続けることによって得た気づきはあった。
今回はその話をすることで、同じようなことを感じている人の役に立てればと思う。
さて、記事を書き続けるで得た気づきとは何か。
それは、自分の弱さを認めるのはそんなに悪いもんじゃないということだ。
今まで自分は、人に弱みを見せるのは良くないことだと思っていた。
他の人がそうすることを悪いと思ったりはしないけど、少なくとも自分についてはそうすべきではないと考えていた。
なぜそんなことを考えるようになったかは定かではない。
しかし、その考え方のせいで自分の振る舞いに多くの制約があったのは事実だ。
人に助けを求められないし、本音を言うこともできない。
自分の行動が期待した目標に達しなければ自分を貶めるしかない。
弱みを見せてはいけないという制約を課して生きていくのはとても辛いことだった。
だけど、自分の弱さと向き合ってそれをさらけ出してみたら、弱みを見せるのは案外悪いことじゃないということに気づいた。
そう感じた理由はいくつかある。
まず第一に、そもそも周りの人は自分の弱さにそれほど興味がないということ。
別に自分が弱みを晒したからと言って、攻撃してくることもないし、接し方が変わることもない。特に環境が悪くなるなんてことはなかった。
気に留められないのであれば、弱みを晒すことはそんなに怖いことじゃない。
次に、今まで弱みを隠すために使っていた労力がいらなくなるということ。
弱みを隠すっていうのはとても疲れるものだ。常に自分の行動に気をつけなきゃいけないし、他の人にどう思われているかを想像して一喜一憂することになる。
しかし、隠す必要がなくなれば、その分のエネルギーをもっと有意義なことに使うことができる。
そして最後に、行動の選択肢が広がるということ。
今まで失敗を恐れて挑戦できなかったたくさんのことに挑戦できるようになる。挑戦に失敗したって誰も気にしないし、そのためのエネルギーは手に入れたからね。
失敗を恐れなければ、人はいくらでも挑戦し続けることができる。
その状態はもはや無敵と言ってもいい。
そんなわけで、自分の弱さを認めるってことはそんなに悪いことじゃない。
いや、むしろいいことづくめだ。
だから、自分は声を大にしてこう主張したい。
俺は弱い。
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